ほぼ足りてまだ欲 その先

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季刊「清水」

 清水の戸田書店が発行している季刊「清水」がまだ発行されているんだ、ということを電脳六義園通信所を主宰されている石原雅彦さんのサイトで知った。石原さんが表紙デザインをされている関係からサイトに掲載しておられるようだ。戸田書店がこうした雑誌をかつて発行していたことはたまたま取っておいた1989年の第27号が出てきて思いだした。創刊号はいつだったのだろうか。
 石原さんは毎週のように清水に帰っておられるようなので、最近の清水の様子が見られるのが私にはとても嬉しい。特に石原さんが良く掲載される静鉄の入江岡駅の跨線橋から撮った写真にはじっくりと眺めることになる。私は中学への通学の時はひとつ静岡よりの桜ヶ丘駅から毎朝乗っていたのだけれども、入江岡の駅からほど近いところに友人が暮らしていたのと、巴川沿いにあった塾へ行くのに良く通ったのでこの跨線橋は大変に懐かしい。
 戸田書店にウェブ上から発注したのだけれど、バックナンバーは既に36-37-38-39号の四冊だけだという。最初は38号は売り切れとされていたので、それをはずして発注したのだけれど、静岡本店(戸田書店は清水にも本店がある、元々は清水銀座が発祥だろう)2Fの藤浪さん(如何にも静岡らしい苗字の方でホッとする)から確認メールを戴いたのだけれど、38号もありますよということだったので、その四冊を戴いた。36号(2003年)をみると【座談会】「季刊清水」と私という企画があり、戸田書店の今はなき戸田寛会長のお嬢さん、鍋倉伸子さん(今の編集長)が巻頭言で書いておられるが、1975年に創刊されたものが1999年に休刊状態になり、この号から復刊したものだということである。これまでの「季刊清水」のバックナンバーの目次が掲載されている。
 ところでこの雑誌は「季刊」と書いてあり、英語でもQuarterlyとしてあるのだけれど、どうやら年に一度刊行されているらしい。バックナンバーをみるときちんと季刊になっている時もあるが、どうやらほとんど年に一度の発行のようだ。
 37号に斉藤和夫さんという方が商船大学清水分校のことを書いておられ、そこに木造二階建ての学生寮が映っている。私の記憶ではこの前がグランドだった。ちゃんとバックネットのある野球グランドがあり、犬の散歩に父と行ってはここでキャッチボールをした。折戸湾にあった商船大学の桟橋は私の遊び場のテリトリーであり、細い竹を小栗商店で買い、その先端からテグスを垂らして、桟橋によってくる小魚を釣った。商船大学の学生がここからカッターをこぎ出したり、ヨットで出ていったりするのだけれど、しょっちゅうヨットを倒しては苦労して起こしているのを対岸の火事といった雰囲気でみていた。今からみたら牡蛎の養殖をやっていたくらいだから、泳いでも良かったのだろうに、こんな汚い内湾では泳がなかった。バスに乗って本村まで行き、後はとことこ歩いて真崎まで行って泳いだものだった。
 38号には1974年7月7日の豪雨のことを書いている人がいる。あの日は土曜日で私は三保・宮方のアパートで友達と麻雀をやっていた。とにかく三保はほぼ全部が砂地だからどんなに降っても水があふれることはない。巴川は氾濫した。そして久能街道は土砂に流されて埋まり、清水から静岡へは国道と旧道を通るしかなかった。
 私は1957年10月から1961年3月までと1971年5月から1976年7月までの間清水で暮らしていた。