ほぼ足りてまだ欲 その先

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季刊清水47号

 清水銀座にあった戸田書店は今は本店が静岡って事になっているけれど、今でも年に一度くらい「季刊清水」という冊子を出し続けている。前はネットショップで買えたのだけれど、今この冊子は各店舗での受け取りか、代引きで買うしか方法がなくなった。残念なことに戸田書店の支店は東京都にはない。買いたいとメールを出したら、本体価格は500円だけれど、消費税と送料と代引き手数料で1.380円になると連絡が来た。それでも冊子以外の840円分ではどこの支店にも往復できかねる。それで代引きで注文した。
 特集1は「高度経済成長期清水をかえりみる」である。私が学校を卒業して清水・三保の工場に赴任したのが1971年で、高度経済成長期の本当に最後の頃だった。翌年所帯を構え、1975年に東京に異動した。その間様々なことがあり、あれもこれもと思い出すと時系列がめちゃくちゃになる。この冊子には装幀家の石原雅彦氏が起こした年表がついていて面白い。
 当時、三保の塚間から貝島経由で波止場にいく静鉄観光汽船の渡し船が走っていて、朝夕は金指造船、日本軽金属日本鋼管の従業員で一杯だった。三保街道から三保屋の交差点で曲がって塚間へ向かう細い道は作業服のままバイクや自転車、あるいは徒歩の工場勤務の人間でごった返していた。近辺には何軒も居酒屋があって夕方になると宮城島酒店の立ち呑み場ではジョッキのビールに焼酎を放り込んだ爆弾を呑み交わしていて、賑やかだった。
 昨年いってみると、車一台、ろくに走らない閑散とした通りになっていて、驚くよりもあまりの寂しさに、わが人生の終わりが近づいているような気がしてたまらなかった。
 この冊子には巴川の河口にあった清水港湾線(通称三保線)の可動橋のことが写真付きで掲載されている。昨年バスで巴川を越えた時にこの上下に上がり下がりする可動橋がないことに気がついて、思わずあっといったけれど、あの鉄道がなくなったんだからなくて当たり前だった。結婚したばかりの頃はまだ三保線は走っていて、夜に走ってくるのを裏の踏切で待ち構えて録音したのを覚えているんだけれど、あのカセットテープはどこにいったんだろうか。
 編集後記に石原雅彦氏が高校時代に撮りためた写真を写真集にして刊行すると書いてあって、楽しみにしている。石原氏がご自分のサイトにその写真をアップしているのを見つけたのが、氏を存じ上げるきっかけだったからでもある。ただ、未だに氏にお目にかかったことがない。
 無事に到着した旨を戸田書店の担当の方に報告し、ついでに私ごとを書いたら、その担当の方も三保の出身だというのには驚いた。そういえばこの方の名字も清水では良くお目にかかるものだ。