ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

晩秋

 中仙道、妻籠宿、馬籠宿、飛騨高山、そして上高地の紅葉とバスで巡る。食い物は最悪だったけれど、景色と天気には恵まれ、特に上高地では周囲の山全てがくっきりと見え、黄色く染まる山を愛でてきた。ビジターセンターにも半時間ほど滞在。高山の街にはもう一度遊びに行きたいという気持ちにさせられた。
 まぁ、いつものパターンの安いのが取り柄のバス旅行だけれども、面白いのは訊ねる先もさることながら、同乗する人達の実にユニークなことにもある。そんな旅は面倒くさくてしょうがないとか、貧乏くさい、とかいう人は多々いるだろうけれど、もし、人間模様に大いに興味があって(そんな人は嫌がらないかも知れないが)、人間ウォッチングが大好きな人は参加するととても面白ことに遭遇する可能性がある。今回のバスは概ね満席。といっても補助席を使うことはないのだから、多分40名ぐらいの同行者なんだろうと思う。ほとんどが二人連れで、それは夫婦であったり、母娘であったり、友達同士であったりする。中にはひょっとすると夫婦でない異性という組み合わせもあるかも知れないが、そんな人達はこんなにあけすけなツアーには参加しないだろうし、デイトに誘われてそれがこの種の旅だったら、普通はちょっと遠慮申し上げるだろう。三人以上というグループは結構珍しくて、今回は二組いたけれど、一組は遅くなってできた娘を連れた老夫婦とおばさん仲間の三人組である。
 バスの席というのは不思議なもので、前の席の声はあんまり聞こえないのだけれども、後ろの席の話し声というのはこれは手に取るように聞こえてしまう。しかも、おばさんコンビやトリオはあけすけに話をするから、聞きたくもない話まで聞こえてくる。今回の後ろの席のおばあさん二人は、もう既に旦那は逝ってしまい、一人になったもの同士の組み合わせ。黙っていてもそんな話をしているから分かってしまうのである。バブルの時は(旦那は)しょっちゅう帰宅はタクシーに乗って午前様だったそうで、そんなことをしていたんだから、あの人はちょっと早めだったけれど、本人は本望だったのよ、とのことである。そりゃ確かにあの時代、遊び歩いたんだろうかという予測は付くが結構商売でやっていた人たちもいた。営業の一環と称していたけれど、今あれがないから仕事が成り立たないのかというと、そんなことはないわけで、ありゃまさにバブルだったというのかも知れない。というわけで、このお二人は寂しさをこうした旅で紛らわしているのかも知れないが、あたりに気を払わないところなんぞを見ているとどうしてどうして、充分満喫しているのではあるまいか。
 隣のお二人は女性で、年の頃なら50代後半。どこか地方の出身者で日頃は仕事をしている人でその仕事仲間・・だと思いこんでいたのだけれど、よく観ると薬指に指輪をしている。いや、それは既婚者の仕事仲間なのかも知れない。しかし、どうもその関係性や、服装なんかを見ると華やかさに欠けるのである。というよりもほとんど気を配ることに価値観を見いだしていない。それでいて、立ち寄るところのほとんどでなにかしらを買ってくる。そんなのは人の勝手なんだけれども、それを大きなプラスティックバッグにどんどん詰め込む。ひたすら詰め込む。最後の頃はそれを見ているとゴミ袋なのか、買い物袋なのか、区別が付かなくなりそうである。この人の部屋はひょっとするとこんなプラスティックバッグがごろごろしているのではあるまいか。朝からバスが走り出すやいなや二人とも眠りこけていたことから最初は日頃の仕事の忙しさに疲れ切っているのかと思ったけれど、そうでもなさそうである。
 後ろの方に身の丈六尺を超える方と五尺そこそこの方の二人連れという老年の男性コンビがいた。一見五尺氏の方が年齢が上で、六尺氏がその後輩なのかも知れないと思っていた。五尺氏はアナログの簡単カメラをお持ちだったけれど、途中で壊れてしまったらしく「こりゃいっぺん見せなきゃならんねぇ」というと「そりゃそうだよ」と六尺氏が仰ったのを聴いて「あれ、こりゃ同年配ということか」と理解を改める。さればと六尺氏のお持ちになるカメラはと見やると、それはKonicaの一眼レフのデジカメであった。とかく背の高い方というのは若めに見られて羨ましいものがある。
 遅くになってようやく生まれた娘(と勝手に決めつけているが)を連れたご一行様はこれはもう無邪気なまでに勝手し放題で、「どうぞご遠慮下さい」といわれているバスの中での携帯電話をとりだしての大きな声での通話、リクライニングを倒す、なんてことは全く気を遣わずに実行される。
 帰路のバスの中ではパズルにずっと熱中しておられた旦那さんは、最初はずっと日経新聞を読んでおられて、全く夫婦の間に会話はなく、こりゃどうしたことだろうと思っていたが、どうやら日常的にほとんど会話をしたりすることを必要としていないお二人のようで、それでいて離婚寸前ではないようだ。サービスエリアにバスが停まるたびに、ウィンナ・ソーセージ、ポテト、コロッケみたいなものといったものを買ってきては食べている。
 母と娘の組み合わせ組の一組は私たちよりももっと後ろに席を占めていたのだけれど、降りる、という段になると全くすばしっこく、チョロチョロッと転がりでて、気が付くと私よりも何人か前に並んで降りていってしまう。圧巻だったのは上高地に入り込むためのシャトルバスに乗る時で、この時はあっという間に前の方にいて、何が何でもと先陣争いで乗っていく。40年ほど昔の血がどうしてもこうなると騒いでしまうんだろうか。かつての日本の乗り物はみんなあぁした先陣争いなくしてはなかったものである。競争ということなくしては社会は良くならないといった政治屋がいるが、それは間違いだということがよく分かる。
 こうしたバスの旅の常として、客にとってはなんのいわれもないのだけれども、ツアー会社のバックマージンの関係なのか、思いもよらない土産物屋に寄り道をさせられることが常である。それはトイレ休憩も兼ねるのだけれども、別段寄る必要のない店である。今回も一日に二店ほどそうしたところに寄る。そのうちのひとつが刃物センターだったのだけれども、そこの旦那(と勝手に決める)が大変お上手な啖呵売。最初は素人っぽく始まるのだけれど、そのうちどんどん一気呵成になって、私は気が付いたら6千円の包丁を手にして立っていたくらいである。私があそこに一人で参加していたら、つまり押しとどめる旅仲間がいなかったら、もうあと一、二点の品物を持ち帰っていただろうと思う。
 うちは全くものを買わない。包丁を買った話のすぐあとでこんなことを書いても誰も信用しないが、今回買ったものはこれの他には栞と絵はがき、そして栃の実せんべい、位である。あとは150枚の写真。しばらく、この一連の写真が続くだろう。
 旨い鮨が喰いたくなった。