ほぼ足りてまだ欲 その先

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鎌倉

 中学二年の時の同級生が鎌倉に住んでいて、写真をブログにアップしてくれている。なので、もう何十年も鎌倉に行っていないのに、鎌倉から大船あたりの雰囲気がわかる。多分まともに最後に鎌倉に行ったのは、1971年の初めだっただろうか。とにかくまだ寒い頃で、鎌倉の海岸までバスで出た記憶がある。江ノ島を見ながら海岸を歩いた。帰りはバスでまた鎌倉へ戻った。しかし、覚えているのはそれだけだ。どこかでご飯を食べたとか、なにか、甘いものを食べたとか、そんな記憶が全くない。
f:id:nsw2072:20210305144049j:plain:w360:left 最初の鎌倉の思い出は、結構幼い頃のことで、多分学校に上がる前だったかも知れない。オヤジの職場の同僚が二人、鎌倉に住んでいる人がいて(鎌倉から鶴見まで通っていたわけだからご苦労様なことだったわけだ)、夏休みに母と姉二人の四人で遊びに行った。子どもたちだけでそのうちの高橋さんというお宅に泊まらせて戴いた。もう一人の逢坂さんのお宅は随分広い庭があって、池があって、なぜかアヒルを飼っておられたのを覚えている。逢坂さんのオジサンは酔っ払うと子どもをギュ〜ッと抱きしめるので、酒臭い上に痛くて、閉口した。そのオジサンは大変な蔵書家で、私は彼の影響を随分と受けているような気がするのだが、とにかく毎月、新刊書を本屋から取り寄せていた。私が結婚した時には大きなウェブスターの辞書を下さった。今でも書棚に鎮座している。
 高橋さんのお宅には釣瓶のついた井戸があって、材木座海岸から帰ってくると、そこで冷やしたスイカをご馳走になった。それがまた実に美味しかった。
 そんな記憶があるせいか、学生時代に鎌倉在住の人がいると、妙に親しみを感じていた。浪人中に通った予備校に鎌倉から通ってくる女学生がいた記憶があるが、あの人はどこに進学したんだろうか。そういえば、あの予備校のクラスには、東北から出てきた元気の良い女学生や、二浪で藝大の邦楽を目指すお姉さんなんぞもいた。しかし、男の浪人同級生は川崎から通ってきていた人しか覚えていない。面目躍如である。