ほぼ足りてまだ欲 その先

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予備校

 大学に落ちて浪人していた時、やっぱり浪人した経験のある姉や従兄弟が通っていた、水道橋にあった研数学館に通った。
いつだったか、関根勤小堺一機YouTubeを見ていたら、小堺一機研数学館に通っていたといっていた。
研数学館というのは歴史のある数学の学校だったらしい。

 1897年(明治30年)に数学の私塾として始まり、1941年に数学専門学校となって、戦後1955年に受験予備校となった。学校法人になったことがない。ずっと普通の法人。2000年に閉校。小堺一機が入ったのは多分1973年頃。古い校舎の下に、あんまりゾッとしない食堂があった。


 私が在籍した年はもちろん団塊の世代がどっと浪人した年でもあって、駿台予備校なんぞは入試があって国立を目指す連中ばかりがやってくる。予備校の入試に落ちるのも面白くないから、最初から行こうとしなかった。代々木ゼミはどっと来るだろうと読んで、代々木の小汚い校舎ではなくて、原宿に新しい校舎を建てた。機を見るに敏である。研数学館はあんな古い建物に固執するくらいで、手堅そうに見えたが、教室は長いベンチみたいな粗末な椅子に詰めて100人は優に入るような部屋だった。あそこで授業を聞いていると暗くなるばかりで、一向にやる気が上向かなかったから、喫茶店に行ったり、パチンコにいったりしていた。そうだ!ジャズ喫茶に初めて足を踏み入れたのもあの時だ。


 そんな時に、友人が通っていた代々木学院や高田馬場にあった一橋学院にも足を伸ばしたことがある。一橋学院で模擬試験を受けた時に、机の上に彫刻刀か何かで、「このさいしょうがない」と彫ってあった。それがなんだろうと思ったら、一橋学院の経営者が同じく経営していた大学で「国際商科大学」というのがあって、どこも受からなかったら、「この際しょうがない」といって行くんだという自重の意味だった。

 その大学はその後どうなったのかと思ったら、それが今の「東京国際大学」だという。今や運営法人の名前まで「学校法人東京国際大学」となっていて、一橋学院もそのまま存在するという。1999年に心理学科を社会人受験したことがあるけれど、他の学校に受かったので、入学辞退をハガキで送ったことがある。あれにはなんの返事も来なかった。
 その後あれよあれよという間に、ソフトボールや野球の指導者に有名人を雇って、それを宣伝し、今や箱根駅伝にまでチームを送り込む。学校経営はまさに「商売」なんである。