もうCOVID-19が蔓延してから一度も銀座の西半分には足を踏み入れていないから、「GINZA-6」の中は店がいなくなってガラガラだという噂を確かめたこともない。あそこはかつて松坂屋銀座店が建っていた。ここにも何度も書いているけれど、その地下にはいくつかのダイニング・インがあった。一番の狙い目はすき焼き重が安く食べられる名古屋のスギモトなんだけれど、あそこは列ができていない時はほとんど無いので、5-6回しか食べた記憶がない。ちゃんと生卵がついてくる。
一番良く入ったのは、天一だった。天丼(松)と赤だし。あれは美味しかった。初めて食べたのは15年前だったようだが、度胸がなくて(竹)を頼んでいることが、このブログをさかのぼるとわかる。本当は天一はご馳走天麩羅屋さんで、とても私如きが上がれるような店ではなかったらしい。しかも、ここの創業者は岡山・総社出身なんだと、かつて、私がここに書いている。
もう一軒はトンカツ屋があったのだけれど、ここで私はヒレカツ丼しか食べなかった。今でもコレド室町の寿々木ではヒレカツ丼しか食べない。それでも、昼時を外した午後に入ると、いい歳をしたおばさんというか、お婆さんがガッツリとカツカレーなんぞを食べているのを見ては、度肝を抜かれた気持ちだった。長生きをする人はがっつり食べるんだなぁといたく感心したものだ。ところがあのトンカツ屋の名前が思い出せない。今時はこんなことだって、ちゃんとインターネットで調べ出すことができる。そうだ!乾山だ!この店も天一と同じように、イートインを上野の松坂屋の地下に出していたことがあったのだけれど、今では完全に撤退してしまって、ここには井泉が店を出している。もうどんなに調べても乾山というトンカツ屋は見つからない。
そういえば井泉のとんかつを初めて食べたのは、日比谷の東宝映画街の傍のビル(三信ビルだっただろうか)に出していた店で買ったカツサンドだったかも知れない。初めて食べた時は旨いことに驚いた。あれ?あれはまい泉だったかな。
まい泉は、20年ほど前に高校のクラス会を開いた。一緒に幹事をしてくれた同級生がまい泉の青山の店だったら顔が利くからといって、あそこでクラス会をやった。複雑な作りのお店で、のちに、元新入社員の時の上司が連れて行ってくれて説明してくれたところに依ると、奥の高い天井のところは、もとは銭湯の建物だったと聞いた。ここはとても有名で、かまやつひろしを見たとか、エリック・クラプトンは日本に来ると必ず行くから見ることが多いとか聞いたことがある。しかし、私は実際には見たことがない。あそこももう20年行ったことがない。
もうあと何年も生きるわけではないので、好きなものを食べておきたいと思うんだけれど、なにを食べたら良いのか、とんと思いつかない。