小諸の北国街道の本町にあった古い旅館「蔦屋」がそばを食べさせていたのだけれど、前にも書いたように今回行ってみたら「ギャラリー・つたや」となっていた。話を聞くと小海線の佐久の南の「中込」の駅近くに移ったのだということだった。帰りにご主人が下さったこちらの「佐久の味処」という冊子を見ると、ご主人の出身が佐久なのだそうだ。その、こちらに来たらいつも立ち寄る蕎麦屋のひとつである「つたや」がどういうことになったのか見たくて昼食時を外して13時半頃に到着。お店のものとおぼしき車が一台止まっているだけである。扉をガラリと開けると、旦那さんと奥さんがやれやれと昼飯時の波を乗り越えたところだったようで、他にはお客さんがいない。金のかかった内装ではないが、新しいお店である。お話しをお伺いすると今年の2月にこちらのお店を開いたのだそうで、なるほど、それから小諸のあの建物の改装をして「ギャラリー」は4月に開店したということか。
もちろん旦那さんも私を覚えておられるわけではないが、小諸で話を聞いてやってきたと申し上げると歓迎してくださった。私が入った後に男性一人、お年を召した男女が一組すぐに入ってくる。ざるそば天ぷら付きをお願いする。三組の注文を聞いてから旦那さんはやおら蕎麦打ち場に入り、仕込んであった蕎麦の固まりを伸し、蕎麦包丁で切り始める。伸した蕎麦を切るのに板を使わない。左手の指の感覚である。前のお店では蕎麦を仕込んでおられるところが見えなかったけれど、こちらでは2卓ある6人ずつ座れる椅子席にいれば丸見えである。
小諸の時は予約してコースをお願いすると小鉢がいくつも出てきておかみさんがひとつひとつ説明をしてくれたが、そのいくつもの小鉢でおなかがいっぱいになりそうだった。今日は三種類の小鉢が出た。冬瓜の田楽、大根と人参の酢の物、瓜の奈良漬け、ミョウガの甘酢漬けの三種類が一緒盛りになった小鉢、そしてもう一つのゼリーがなんだかわからない。しかし、どこかで確かに対面した味がする。杏仁豆腐のようでもある。とうとう降参で旦那に聞くと(多分旦那もよく知らなかったらしいが)、カルピスと牛乳だというのだ。あぁ、この酸味はカルピスかぁ。
旦那が「(蕎麦を)固くゆでるか、柔らかくゆでるか」とお聴きになる。固めにとお願いする。出てきた蕎麦はまごうことなく「つたや」の蕎麦だ。更科が好きだという人にはお勧めできないが、しっかりした蕎麦を好む人にはお勧めである。しかも、長野の習慣としては正統派の「これでもか」という量が盛られている。その上、紫蘇、野沢菜を混ぜ込んで、佃煮を載っけたご飯がついてくるのだ。これだけならまだしも、ついてくる天ぷらというものが、尋常じゃない。これなら二人だったらこれにざるを一枚頼めばもう十分だ。抹茶塩で戴くのだけれど、エビ、獅子唐、舞茸、エノキ、南瓜、苦瓜、薩摩芋等々(大変尾籠な話で恐縮だけれど、私は舞茸のゲップが密かに好きだ)。14時半にお店を辞する。次に来られるのは多分来年の初夏以降になるだろう。いつまでたっても今日は腹が減らない。そりゃそうだ。
行ってみたいのだけれど、一度も入ったことのない蕎麦屋が上田の「刀屋」だ。なんでも相当な量の蕎麦が出るのだそうだ。上田、佐久にある「草笛」もその量はびっくりものだ。だから、東京のいわゆる名店に見られるような上品な分量(つまりざるにしがみついているような量)の蕎麦屋はだんだん淘汰されてしまう。そんな店ではないけれど中軽井沢の裏通りにある「笹舟」は多分ご主人のお歳からか、もう週末しか営業していないらしい。