ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

あの人にわかるわけがない

(写真:よく見ないと分からないけれど、実は「根性トウモロコシ」。佃煮屋の角)
 「思い返せば130年前の9月22日、吉田茂が生まれております」なんてことを感慨深げに報道の前で売りにするなんて、語るに落ちる。なんだかんだ質問されてもあからさまにはぐらかして自民党総裁選挙を渡り歩いてきただけの話で、これまでの自民党の総裁を決めてきた料亭会談と実は大した差があるとは思えない。全国17ヶ所を巡ったといったって、なにしろ何をどうするという話をしてきたわけではないからだ。「前向きに」とか「国民目線で」とかいう言葉を口の端に載せては来ていても、どこからそれを思い、だから何をどうするということすらいわずにはぐらかしてきた奴に、その辺の商店街を安い総菜を目指しておぼつかない足を運んでいるおじいさんの現状を分かるわけがない。そんなことは自分がいちいちできるわけがなくて、それは官僚が持ち上げてくるのだと思っているということではないのか。霞ヶ関のどこに国民目線で行政を考えている奴がいると思っているのだろうか。あそこには学業ができれば誰よりも優位な立場に立つのが当たり前だという価値観の上に立って幼いときから育ってきてしまっている人たちばかりなのだから無理もないといってしまえばそれまでだろうか。
 そうかと云って民主党に変わったらその点が全て解決されるかといったらそんなことなんてとても考えられない。しかし、今のままにしておくよりは明らかにましだといえるだろう。私は小沢一郎が本当に心の底から国民目線に基づいて政治をやっていこうと思っているかといったらそれは疑問だ。多分彼は自分のために政権奪取!と叫んでいるんだろうと思う。だけれどもこのまま自民党が資本家の視線で人生を送ってきた麻生総理大臣の下でこの国をリードするのだとしたらこの先、日本はより困難な道を辿ることになるだろう。小沢はいやでも、一度は民主党に政権を渡してみるという選択肢を取るべきだと確信する。
 先日テレビを見ていたら「福田前・サミットのためだけの首相」が映っていた。政権を放り出す前にはしょっちゅう映っていたぶら下がり会見の様だった。なんの政策についての質問だったのか聞き漏らしたのだけれど、記者の質問に対して「じゃ、どうすればいいの、え、どうするの?」と斬り返した。ぶら下がりに群がっている記者はほとんどがまだまだ若い政治部記者ばかり。時の総理大臣に斬り返されて堂々と指摘するだけの貫禄に不足している。都民から大きくかけ離れた価値観の上でしか発想ができないあのオリンピック・フリーク都知事の会見で傍若無人なまでに振り回されている記者達と同じように、だ。福田のそのあとの言葉は「総理は大変なんです」だった。「あなたと違って」発言と同じように全く場違いな口でしかなくて、質問した記者と同じレベルでムキになるような首相を私たちはこの期に及んで「あの人は前任者に比べたらまだ良かった」というようではもう終わっている。あの人もその前のあの人もサラブレッドだと持ち上げた奴らに責任を取って貰いたい。