ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

カーチス・ルメイ

 (写真:いつもながら新宿紀伊国屋ビル地下の「水山」のチャンポンうどん) 
 昨日喉が痛くて仕方がなく、うがい薬を使って何回もうがいをし、めしを食べては風邪薬を飲んでガッと寝るが3-4時間で目が覚める。そこからまた起き出しては何かをしてまた寝るという具合に、家から一歩も出ずに過ごしたおかげで朝になるとどうにか出かけられるような案配に辿り着いたから、今日からまた始まる月に二回のレクチャーに出かける。今月から電車のダイヤが変わったのか、乗り換えの接続が余り良くなくてぎりぎりに飛び込むと、部屋の一番後ろにこれまでに随分お世話になった方が久しぶりにご参加のようで座っておられ、簡単な挨拶しかできなかったのが心残りであった。
 無差別爆撃の話になるとカーチス・ルメイ勲一等旭日大綬章の話が出た。カーチス・ルメイというのは日本の都市の無差別戦略爆撃を立案した米国空軍の将校で後にキューバ空爆を企画してJFKから却下されたが、ベトナムでは北爆を推進した。彼が航空自衛隊の創立10周年の招待で来日した際に時の総理大臣佐藤栄作官房長官橋本登美三郎、防衛庁長官小泉純也はかつての海軍航空参謀であった時の参議院議員源田実の働きかけによって1964年12月4日の閣議で決定して7日に授与している。主に源田と小泉が強力に推進したと伝えられている。どうしてもこの男に勲章を渡すという論理、その精神構造が理解できない。
 その後の12月15日の衆議院外務委員会で社会党の帆足計が質問に立つ。ちょっと長いが引用する。

帆足委員:先日アメリカのルメー米空軍参謀長に勲一等旭日大綬章を差し上げたそうです。私どもといたしましては、この方は長崎、広島に原爆を投下した張本人であるとかねて伺っておりましたが、こういう人に旭日何とかというような勲章を上げることは、ちょっと原爆の犠性者に対して礼を失することになろうと思います。武勲かくかくたる将軍であろうとも、悪縁あってこのような関係になりました者に対して勲章を与えたということは、与えたものを取り戻すわけにもまいりませんでしょうけれども、片手落ちでなかったかという疑問を持ちます。したがいまして、賞勲局からお見えになっておりますでしょうが、その問題について一言事情をお聞かせ願いたい。別にかれこれ言うわけではありませんけれども、事情だけは知っておきたいと思っております。


岩倉政府委員 お答えいたします。
 ルメー海軍(ママ)大将は、現在アメリカの空軍の参謀長でございます。戦後アメリカの空軍の参謀副長、参謀長を歴任されておりまして、戦後におけるわが国の航空自衛隊の発達にお尽くしになった。そういう方に対しまして、儀礼的に相互に勲章を交換し合うという国際慣例に基づきまして、叙勲せられたものでございます。なお、勲一等旭日章というのは、大将という軍隊の階級と申しますか、たとえば特命全権大使は勲一等旭日章特命全権公使は勲一等瑞宝章というような慣例に基づきまして叙勲せられたものでございます。


帆足委員 ちょっとお尋ねしますが、そのルメーなる職業軍人が広島、長崎の原爆の戦犯であるということは、間違っておりますか。


岩倉政府委員 ルメー大将は、戦争中にB29の爆撃隊の隊長をせられておりましたけれども、防衛庁からの御説明によりますと、原子爆弾の投下の直接責任者ではないというふうに伺っております。


帆足委員 私は、この問題につきまして、広島の人からその嘆きを聞いたのですが、もっともだと思うのです。したがいまして、身元調査を私のほうでもしておりますから、あなたのほうも、失敗したことは失敗したこととして、この戦犯に勲章を渡した——戦犯であるからといって、自衛隊との関係もあって、十周年記念で来るというのに勲章を渡さないということも、賞勲局としてはできにくい事情もあったと思うのです。これをジレンマと言うものでしょう。しかし、広島の皆さんからのこの嘆きを聞きましたときに、私は一種異様の気持ちがいたしました。廣田外務大臣が罪もなくして戦犯になられて絞首刑に処せられた日のことなどを思いますと、この何とかという職業軍人に旭日何とかというような勲章は、まことに歴史の皮肉ではあるまいか。私どもにどういう勲章を下さるか知りませんけれども、それに劣らぬ勲章をかくのごとき戦犯にあやまって与えておるということに対して、一人の良心的議員が、国民的感情から人生の悲劇を嘆いていたということを記録にとどめていただきたいと思います。

 やりとりはたったこれだけで終わりだ。何とも歯がゆいやりとりだし、全く不正確な答弁で、もし今こんなことがあったらそのままではすまされないだろう。
 ましてや源田実は戦時中に海軍戦闘機の装甲の改善要望に対して、根性で乗り切れという程度の人間なのだからこうした時代錯誤、善悪の見境がつかない、行動、言動は推して知るべきなのかも知れない。そうして考えるとこんな男を国会議員として認めるに至った国民の責任にまた戻ってきてしまうのだろうか。
 時の総理大臣佐藤栄作は、A級戦犯だったけれど時間がかかりすぎてCIAから吹き込まれて釈放された岸信介の弟だが、なんとノーベル平和賞を受賞していて、平和賞はノルウェー国会が選考するのだというからどこかから手を回したに決まっている。それもまた恥ずかしい。
 「儀礼的に相互に勲章を交換」しているんだったらこっちは誰が何を貰ったというのだろうか。尤もそんなことはどうでも良いのであって、絶対的に想像ができない。
 さすがにカーチス・ルメイも気が引けるのか、あるいは外国から貰った勲章なんてとっ恥ずかしいのかこの勲一等旭日大綬章を身につけて人前に出ることはなかったという。
 保阪正康はこんな具合に書いている。

 内心では、「私はあなたの国からこの様な賞をもらうわけにはいかない」とルメイに辞退してほしかったと思う。実際に、ルメイは自らの経歴を語るときには、日本から最高位の勲章をもらったとは決して口にしなかったという。その程度の慎みは持っていたのである。詰まるところ、問題は日本の側にある。(「昭和史の大河を往く 第四集 東京が震えた日 二・二六事件東京大空襲」 毎日新聞社 2008)

 上目遣いをしながら両の掌をこすりこすりおずおずと為政者に貢ぎ物を差し出す小悪人がそこにいる。
 紀伊国屋によって地下で「水山」のチャンポンうどんを食べた。上にあがるとこれまで気がつかなかった本を見つける。しかし、5,300円という価格に手が縮む。

東京裁判―第二次大戦後の法と正義の追求

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