ほぼ足りてまだ欲 その先

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「安田講堂落城」

 NHK総合テレビで「NHKアーカイブス」「安田講堂落城 〜“あの日”から40年 学生たちのその後〜」を見る。この番組が何時放映されたのかは知らないが、こんな番組があったことは微かに記憶にある。しかし、見たくはなかったから覚えていない。こんなタイトルの番組を見るのは、かつての自分が同世代の彼らを、そうではないが、見捨てたことを突きつけられるような気がしたからかも知れない。
 秋田明大広島県呉市の出身だと知ってその巡り合わせを思い、今井澄があの鎌田實が院長を務める諏訪中央病院の元院長だったことを知る。
 1969年1月18日。私は大学2年だった。あの流れは不正経理が発覚した日大から始まった。我が校は文学部の教授会の不可思議な決定に端を発した。元々マルクス経済学の流れをくむ中にありながらそれ程真面目に学問に邁進していなかった私はほぼ第三者的な視点でしかそうした動きを見ていなかった。かつての私であったなら確実に身を投じていたかも知れなかったけれど、そこまで突き詰めて考えることを放棄していたし、どうやって給料を得て、喰っていくのかということばかりを考えていたといっても良かったのかも知れないし、身を投じ損ねた、といっても良かったのかも知れない。それは友人と組んだバンドが面白かったからだろうか。あのバンドがなかったらそうした行動に移っていたかも知れない。
 あの日、風邪を引いて家で寝ていた。そしてテレビに映し出されるびしょ濡れの学生たちを密かに応援し、これを守りきったらなにか時代が新しい方向に動き出すかも知れないと思っていた。しかし、安田講堂の上に機動隊が動くのを見たとき、60年安保から続く圧倒的な権力のあっけない蹂躙に蹴散らかされていった。
 二日後、期末試験に学校へ行ってみると、同じクラスの男が来ていなかった。多分彼のことだからあそこで逮捕されたんだろうとは思っていた。後日その通りだったことを知る。
 その後も権力に対して地道な戦いを続けた人たちもいる。そうした動きに左右されない道を選んだ人もいる。そうしてみんな同じように歳をとった。光陰矢の如し。いや、矢は遅いじゃないか。