今すぐ衆議院を解散するな。小沢民主党はこれですっかり支持を失うだろうことは明確だ。この際、自民党は麻生を引きずり下ろして谷垣、あるいは与謝野あたりで選挙に立ち向かうべきだろう。
確かに今回の東京地検特捜部のやり方はこれまでにないくらいに小沢一人をねらい撃ちしていることは明確で、ここまで捜査の過程をぽろぽろと流し続けてきていることは偏った捜査のやり口で批判されるべきであろうとは思う。しかし、小沢の公設秘書がやってきたことについては明らかに政治資金の整理の仕方としては世の中を謀るやり口である。それが小沢ひとりがやっていることではなくて、与野党含めて多くの政治屋がやっていることではあるだろうけれど、間違っていることには違いがない。
これで民主党が次回の衆議院選挙で確実に勝てると思われていたことがまったく逆転したことは明らかだ。この小沢の決断は「民主党」というコップの中だけの我を通した、というだけのことではない。自民党を中心とした国民を欺いた政治から一旦政権を取り上げて、この国の未来を作り直すという大きな節目をすべてぶちこわしてしまったという点でその罪はとても大きい。
これは実は小沢一郎という人間がやはり小さな価値観でしかものを考えられないという程度の人間でしかないということを表しているということであって、むしろこんな人間に政権を預けなくて良かったということでもあるだろう。
と、なると私たちはこの国の姿形を考える上で、この先どのような政治体制を実現できるのか、という点ではお先真っ暗であるという状況に陥ってしまったということになり、小沢一郎という人間と、それを甘んじて受け入れてしまった鳩山由紀夫、菅直人をはじめとした幹部の指導力のなさにはほとほと情けない。
小沢一郎はこうした会見の時に必ず「同志の皆さんをはじめ、国民の皆さんに・・」と表現する。彼にとっては自分の周りのイエスマンがまず大事で、有権者はそのまた外側に存在するという意識の現れなんじゃないかと気になって仕方がない・・、と書くと、またそんな枝葉末節なことを、という声が聞こえてきそうだ。しかし、概ねこんなところに実際の感覚が見えてくるものだ。