昨日テレビ朝日で「報道発 ドキュメンタリ宣言」を見た。事件は6年近く前に起きた。柔道部の一年生の女生徒が二年生の当時の部長に柔道場でむちゃくちゃに投げられて頭を強く打って「急性硬膜下出血」を引き起こし、重体に。手術後も意識は戻らず、寝たきり状態で今年の三月には養護学校を卒業した。もうあの少女は18歳になる。
学校も教育委員会も何らその日の部活動には問題はなかったとして、報道陣に対しても誠に不誠実な対応をして責任逃れの対応をしてきた。しかし、両親が起こした民事訴訟がようやくこの3月に決着をして、全面的に両親が勝訴。福島県、須賀川市教育委員会には事件そのものの隠蔽した疑いが強いことを指摘した判決だった。
にもかかわらず行政側は今も何もその姿勢を変えずにいる。ならば彼らは上告すべきであり、しなかったと云うことは全面的にこの地裁の判決を認めたということになるのだから、素直に謝罪するべきであることは誰が聴いても納得できるはずだ。彼らは公職にある公務員として間違いを犯しているだけではなくて、教育者としてはもう論外なほどに資格を失っているというべきだろう。いくら頑迷な田舎の役所とはいえ、彼らの姿勢にはおぞましいほどの人間性の欠如を感じる。
- 作者: テレビ朝日「スーパーモーニング」取材クルー,被害者の母
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こちらに詳細をアップしている人がいる。
須賀川市長は判決後の本年4月7日に記者会見(こちら)をしている。この中で市長は“元部長による、元女子生徒に対する「いじめはなかった」が、元女子生徒に対する「不法行為はあった」”としていて、依然として市はあたかも自衛隊のよってたかって訓練、のような集中攻撃に及んだといわれている当時の部長の行動を支持している様に思える。いじめじゃなくて不法行為という表現は一体何を意味するのか。教育現場で発生した事件をどのように理解しようとしているのか、はなはだ疑問だ。
県と市に補償をするように判決は求めているが負担率の議論にまた時間がかかるだろうからという意味か、とりあえず市が負担するといっている。私はこの際、市と県は本件を隠し覆うことに腐心した校長と教頭を訴えて、市民の血税からの支出ではなくて、両名からの補償を要求するべきだと思う。「判決結果を厳粛に受け止めて」いるとしながらも、「原告側にも、「自ら結果の発生を回避する選択肢を探ることもあり得た」という、一定の過失があったことなどが認められております」と事ここに至っても自らの立場で回避のための努力を怠ったことすら棚上げして語るのはもはや第三者の理解を得ることは難しいだろうと思わせる。