ほぼ足りてまだ欲 その先

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ひとりでやる

 会社員時代、私は社会参加のための手続きを殆ど自分ではしていなかったわけで、例えば税の申告と納税、健康保険や老齢年金等の社会保障関係の手続きなんてものを殆ど勤務先に任せっきりだった。その前はどうかといえば親に任せっきりだったわけだ。
 自分でどうにか何かをやったというのは家(といっても集合住宅だけれど)を買うことになった時くらいか。それだって借金分は自分の勤め先から借りていたから返済手続きなんてのも勤務先が給料から持っていっちゃうのに任せていたわけで、自分から振り込んだりしたわけでもない。
 だから、退職してから様々なものを自分で出掛けていって申請し、なんだかよく分からない手続きをいわれるがままに書き込んで出したりしてきた。
 そうなってみて初めて思ったのは、結構この世の中で暮らしていくというのは面倒なものだということだった。だけれども、面倒だからといってそのまま放りだしているとこの社会の仕組みの中に入り込んで暮らすということから弾き出されてしまう。一旦弾き出されてしまうと、そこからこの仕組みの中にもう一度入り込もうとするとなかなかそれは容易ではない。
 仕事を失って収入がなくなり、蓄えも底をつくということになると、すぐに食と住に影響が出てくる。たとえ家という箱が残ったとしても、電気だ水道だというインフラが欠落する。するとあっという間に路頭に迷う。そうなってしまうと仕事を探して再出発もままならなくなる。湯浅誠がいう「ため」のない状況だ。
 そうならないために、社会の仕組みの中でひとつひとつをこなしていかなきゃならん。ところがそれを巧くこなすことのできない人というのは少しずつかも知れないけれど、増えていっているような気がする。「もういいや」と放りだしている人たちが少なからずいるように思う。人口の絶対的な数が減少するという事態だけではなくて、こうして仕組みから放り出されてしまった、あるいは仕組みの中に存在することから降りてしまっている人たちが増えていやしないかとそれが気になる。