ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

意外なことに

 私は戦後横浜で生まれた。周りは丘だらけで、関東ローム層むき出しで、冬になると霜柱だらけのぐちゃぐちゃで、下駄の歯が埋まり込んで、子ども心に往生した。春になると風が吹いて廊下が砂埃だらけになった。雨の日に長靴を履いて傘を差して、水たまりの水を棒きれで溝をつくってこっちの水たまりとあっちの水たまりを繋げたりして遊んでいた。
 ところが全く同じ頃に台東区で生まれた連れあいは生まれた時に既にトイレは水洗だったといっているから下水管が整備されていたということである。しかも、道路は全面的に舗装されていたから、道路にできる水たまりを知らないのだ。ところが地域で唯一舗装されていなかった道路というのがあって、これは私が住む様になってからもまだそうだった記憶があるのだけれど、どちらか知らないが、在日韓国・朝鮮人の人たちが店を連ねている界隈だった。その地域の成り立ちになにかきっといわれがあるのだろうけれど、あれは行政による差別だったのだろうなぁと思い出す。
 砂利道も、ぐちゃぐちゃ道も、そんなものはなかったのだから、うちの子どもたちも長野の友だちのところに連れていった時に、そうした不規則な道を歩くことがとてもヘタックソでびっくりしたことがある。なにしろ彼等はまだ3-4歳の頃、工事現場を通りかかった時に、そこに置いてあった砂利を一つ拾ってはポケットに入れていてびっくりした。「何をしてるの?」と聞いたら「宝物だ」と答えた位のものだったのだ。