ほぼ足りてまだ欲 その先

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ガイド

 団体ツアーに乗ると現地ガイドという職種の人が解説をしてくれる場合が多い。現地に暮らして何年も経つ人で多くの場合女性である。どんな経緯があるにしろ外国で暮らして何年も過ごしてきているから事情に詳しく、要領も得た人であることが多い。時として、日本語をいずこかで勉強してきた現地の方であったり、英語のわかる人で、添乗員がそれを通訳してくれる場合もある。
 いずれにしろ誰かの手助けをしてもらって現地の状況がわかり、そこに存在するものがわかり、その歴史的意味なんぞがわかる。
 自分一人で歩いていると頼りになるのはガイドブックであり、ネットの情報である。
 いずれにしろ誰かしらの色がつく。全くの客観的な情報である、という場合は少ない。
 現地在住のガイドの場合、国家資格として認められているステイタスを必要とする場合が多い。しかし、その中身を見ていると、日本のいわゆる観光ガイドの国家資格のレベルの高さには驚くものがある。にもかかわらず日本での観光ガイドのステイタスは放りっぱなしにされているというのが現状だろう。つまり国家資格は作ったのに、その運用については何も保護していないという状態にある。これは介護の世界でも同様で、介護福祉士社会福祉士の国家資格はあるものの、現場ではそんな資格を持っていようがいまいが同じ扱いである。これを規制緩和だと表現するのかも知れないけれど、最初っから存在しないのだから緩和でも強化でもない。システムが機能するまでとでもいうような前提があるのだとしたら、それは一体いつになるのだろうと設定しているのだろうか。
 ところで現地在住の日本人ガイドとなると多くの場合日本人観光客は「どうしてこの人はここにいるのだろうか」という興味が湧くようだ。移民排出国家としての日本はかつてアメリカ大陸方面に対してのみであったから、欧州だと余計にそれを感じるのかも知れない。ガイドする側もそれを知っているのか、その辺をたくさんしゃべる人もいる。しかし、そればかりになってくるとうんざりしてくる。
 今回のハンガリーを案内してくれたベテランガイドは歴史には大変詳しくて「歩く年表」というくらいに頼りになったのだけれど、あまりにもプライベイトを語るのに辟易した。
 「この建物にマサコさんがおられて・・」というのであの「雅子」さんはここまでこられたのか?」と思ったら彼女の友達の「マサコ」さんだとわかったときには思わずずっこけそうになった。
 ブダペシュトの北部郊外の街まで遊びに行ったときにお土産屋の店頭にルービック・キューブなんてものが置いてあって、一体何でこんなものを売っているのか不思議だったのだけれど、あとでネットで読んだらこれを考え出したのはハンガリー人だったのだ。そりゃ知らなかったなぁ。