ほぼ足りてまだ欲 その先

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新宿

 今日もまた新宿まで出掛けた。出がけは本降りの雨で、風がないだけまだマシだったけれど、この雨には多分相当なセシウムが含まれているんだろうなと思うと、嫌なものがある。さすがに常連さんの中から何人かの人が欠席である。
 米軍による広島への原爆投下はなぜ午前8時15分だったのかを調べて書いた人がいたのだそうだが、それは米軍が史上初めて原子爆弾を投下するにあたって理想的な地形後を選び、朝、まさに人が動く時間を狙って投下することによって起きる事態を把握しやすいという状況を入念に選んだからの様だ。従前であれば空襲は夜陰に乗じて行うもので、明るい、それも朝というのは非常に例外的だという。搭乗員の殆どは何を搭載し、どこに行くのかを知らずに離陸し、上がってから指揮官から知らされた。当時の爆撃機は上がってから発信基地に向かって連絡を取るが、彼らは基地ではなしにワシントンに連絡を取ったところが通常と異なっていた。
 終戦後連合軍による占領が終わるまでの間、連合軍は広島の原爆被害についての報道は許されなかったし、それを私家版にしても刊行するのは反米的行為に相当するという捉えられ方をしてきたのだという。
 米軍は最初からドイツに対して原子爆弾を投下するという考えは持っていなかった。明確にいってしまえば、日本に対してだからこそ原子爆弾を行使した、といっても差し支えがないだろう。だから、その点についていえば明確に人種差別的な攻撃だといって良いはずだ。偶々の結果論として偶々そのタイミングで開発された原子爆弾を当面の前線で使ったとはとてもいえない。
 宣戦布告をせずにパール・ハーバーを急襲し、無差別爆撃をしたことは事実であるし、重慶に絨毯爆撃をしたのも事実で、南京で余計な殺戮を行ったこともまた事実であるけれど、都会という都会に繰り返し繰り返し絨毯爆撃を行い、その果てに「これ以上戦争を続けないために」といって、一瞬にして十数万の民間人を死に追いやる爆弾投下を行ったのも確かな事実である。こっちがあるから相手のあっちを指摘してはいけないということはない。それぞれが各自それを認識し、その罪を認め、謝罪していかなくてはならない。そうでなければ報復は報復を呼ぶことになる。今日の話は最後には思わず頷き続けていた。

 帰りは新宿御苑まで歩いたのは前回と同じ。丸ノ内線赤坂見附で銀座線に乗り換え、新橋で降りる。カタログハウスに初めて寄って、カタログを入手。銀座一丁目の「三州屋」にいって海鮮丼を食べようと並木通りを歩き、最後に煉瓦通りに入ったところで、バッタリと友だちに遭遇。よくもまぁこんなに巧いタイミングで遭遇したものだ。家に帰ってくるとバタリと寝た。
 今日は9629歩。