ほぼ足りてまだ欲 その先

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疎開

 政府はなんにも生活に支障がないというスタンスに立っていることになっている。だからみんなも「別にぃ〜」という態度をとることになっている。そろそろ首都圏も放射線によって汚染された物質が雨やら地下水の流れやら、河川の水の流れによって集められて湾に集約されつつある状況から東京湾の汚染に繋がりつつあるのではないかという気がする。気がするというだけでどこにも公のデーターはない。なにも「生活には支障はない」ということになっているからだ。
 商売をやっている人たちは一層悲惨だ。「ひょっとするとやばいかも知れない」ということになって、どこかに家族とともに疎開するとしたら、それまでにようやく築いてきた商売を棒に振ってゼロから出直さなくてはならない。しかもそれまでに金を掛けた設備を放り出すことになる。どこかから支援があるわけでもないのに、重荷を背負い込んでゼロから出発しなくてはならない。
 放射能は確かに東京電力の福島第一発電所から飛び出してきたはずで、それが原因で東日本一帯が暮らしにくくなり、将来の子孫たちに莫大な影響を与えてつつあるのだというのに、その会社はなにひとつ責任をとるでもなく、みんなのために働いてきたんだからという理由をつけてあってみんなの税金から様々な金が出て行っている。彼らは自然災害による被害者だという位置づけである。
 そうだとすると、この放射線汚染も自然災害によって引き起こされたのだから放射線の汚染によって暮らしが破壊されつつある東日本一帯の住民も自然災害による被害者だ、ということになる。だから、東京電力が国の金をつぎ込み、利用者から以前以上の料金を取ることによって成り立つのであれば、住民も国庫の金によって救済されなくてはならない。つまり東京電力の社員のボーナスや給与が担保されるのと同じように国庫から補填されなくてはならない。
 国庫というのは国民の税金で成り立っている。ならば、この税金は公平に遣われているのか、といったらそうではないだろう。
 「もうこれ以上はやばい」という結論にいたって家族を疎開させる人が増えているという情報がある。しかし、国は支援はしない。なにしろ「やばくない」ということになっているからである。いや「やばくない」ということにしておかないと、この国の秩序が立ちゆかなくなってしまうからだ。つまりこの国のシステムを保つためにその構成員を犠牲にするという愚を犯しているのだ。
 原子力神話はここでもまだ機能している。
 蛸がとうとう足を食いだし、気がついたら最後は口しか残っていないということだ。