ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

言葉は変わる

 言葉の使われ方がどんどん変わるのは別に今始まったわけではなくて、昔からいろいろある。「やばい」という言葉も相当なもので元はといえば悪者集団がよく使った言葉が始まりだったと記憶しているのだけれど、いまや「素晴らしい!」という意味に変化しているのはこれはもう驚きというか、「やばい」のだ。テレビで食べ物番組を見ているとタレント諸兄が一口口に含むやいなや、必ず「やばっ!」という。まずいのかと思ったらそうじゃなくて「絶賛」なんだものね。こりゃついて行けない年寄り頑固者店主が怒りそうだよ。
 「大丈夫」ということばも今やオールマイティーになっていて、随所で使われて鼻白んだ経験が随分ある。一昨日もエレベーターに書類を両手で支えた格好で乗ってきた女性がいて、私が階数ボタンに手を構えて「一階で良いですか?」とお尋ねしたら「大丈夫です」と仰った。これはもちろん「一階でけっこうです」という意味だと解釈したけれど、聞き様によっては「自分でできる、大丈夫だから余計なことをしなくていい」といっているように聞こえないこともないけれど、それはあまりにも意地悪な解釈だろう。
 本屋のキャッシャーの前で中途半端なところにたっている男性がいた。英語の国ではこんな時に「Are you in a line?」とか「In a que?」とか訪ねるが日本ではほとんどそんなこともなく、自分で勝手に解釈してそいつは並んでいないものとして自分はどんどん並んでしまう。そうするとその中途半端にたっていた奴が実は並んでいた場合には「なんだこの野郎、横入りしやがって」と思う。でも、日本人はそれを口にすることはない。
 話はそれではなくて、私が「並んでおられますか?」とお伺いしたら、彼は「大丈夫です!」といったのだ。私は「並んではいません、お入りになっても私はかまいません」と解釈した。この場合は言葉通りに解釈したら、何が大丈夫なのか訳がわからんのだ。「君はどうしたの?大丈夫なの?病気じゃないの?」と聞いた訳じゃない。これは「I'm alright」ってことだ。日本語の英語化といえようか。敗戦後の占領期に日本語を止めさせて英語化しようという案があったと聞いたことがあったけれど、ここに来て実現しているのかも。