ほぼ足りてまだ欲 その先

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原田正純

 坂本龍一の大きな顔が表紙になっている週刊金曜日の2月8日号が原田正純先生を特集している。原田先生は熊本大学医学部の医師として水俣病を冷静にそして邪気なく現場から判断していた人だというのが良くいわれる。熊本大学助教授から熊本学園大学に移られて教授になられた。一度わが母校に講演に来られてお話をお伺いしたことがあるけれど、とてもざっくばらんな方だと驚いた記憶がある。私のような海のものとも山のものともわからない男と相対しても構えることもなく、全く屈託なくお話になる。それが原田先生の強みでもあるのではないかということを、この特集の中の佐高信と栗原彬先生の対談でも知ることができる。
 一酸化炭素中毒には後遺症は残らないという通説を三井三池の炭塵爆発事故後の被害者家族の話からそれを見直そうとしてきた原田先生の発想は研究室に閉じこもっている学者には理解できないという。
 あの時三井三池は炭塵爆発は「想定外」だったといったそうだけれど、それまでにもすでに中国、九州、北海道で発生していた。今では「粉塵爆発」という言葉はごく当たり前になっている。水俣病も当時はチッソが放流している水銀廃液と水俣病との間に科学的な因果関係が立証されていないとされていたけれど、今ではそれを疑う人すらいない。今は原発の存在そのものがいかに地球の自然現象に対して無力かということについて議論が決まってはいないけれど、3.11の福一事件の地震津波、今回のロシアでの隕石落下、日本各地での活断層の再認識を進めていけば、「なんであんなものを平気で造っていたのだろうか」という時代は来る。
 チッソのあの傲慢な態度を今私たちは議論しなくなってきた。当時の社長が皇室と関係することになってしまった現状が何か意味があるのだろうか。
 チッソの時に科学的に因果関係は認められないとした東大医学部や通産省の責任者はその後何か社会的に摘発されただろうか。
 水俣病といえば私にとっては宇井純原田正純石牟礼道子、栗原彬というところがでてくるのだけれど、それを私に教えてくれたのはわが恩師の岡田徹だった。岡田先生は今一体どこにおられるのだろうか。