私は実家を出てから42年間、ずっと朝日新聞を購読してきた。実家では父親が決めて読売新聞を取っていた。アンチ巨人ファンの父親がなぜ読売と報知を購読していたのか非常に不思議だ。一度は読売を毎日に買えたことがあるけれど、やっぱり読みにくいと云って読売に戻したことを覚えている。
私は読売が非常に保守的で何かといえば憲法改正をほのめかしていたから反対で、独立したら朝日新聞にしようと思っていた。それくらいだから、ずっと朝日新聞を読んできたし、雑誌の「論座」も毎月買っていた。
しかし、今では新聞は東京新聞にしている。もう半年以上経つ。こちらから東京新聞に電話をして入れてくれと申し込み、朝日新聞には断りをした。
ところが今月の頭に、朝日新聞だという電話があって、5日間朝刊を入れるからまた読んでみてくれ、というのだ。理由があって朝日新聞を止めたのだから、そんなことをしたってまた取るということはあり得ないと説明をしたにもかかわらず、入れていた。それは勝手に入れているんだから、私には関係がないと解釈していた。
それが昨日のこと、表のインタフォンが鳴り、出てみるとスーツ姿の男が立っている。なんだろうと思ったら朝日新聞だという。「だから、入らないとお断りしたはずですよ」というのだけれど、5日間は入っていましたか?ということを聞く。入っていようと入っていまいと、要らないものは要りません、と冷たく突き放す。
こんな営業をしてなんの意味があるのかが理解不能である。意地悪をして新聞を替えたわけでもないし、貰えるものが気に入らないから替えたわけでもない。新聞に書かれている朝日新聞のスタンスが、相容れないものだから、替えたわけで、これは新聞としては致命的な問題なのだ。
売れれば良いというスタンスに立っている営業が編集サイドに対して、こういう事態が巷では起こっているんだと説明しているのだろうか。
営業がしぶとく頑張るのは、今はお客に対してではなくて、自社の編集に対してである点を良く理解して欲しい。