ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

外出

 とても涼しい朝だったので、かねて頼まれていた友人のところにパソコンの様子を見に行った。彼がパソコンを使い出したのは彼が自分の絵を取り込んだり、音源を確保したりするのに使い出したからで、今度はA3を取り込めるスキャナー&プリンターを導入したのだけれど、巧く動いてくれないということだった。新しいハードの設定のボックスの選択が間違っていただけで、それを置き換えたらすぐに動き出した。
 それにしてもパソコンのソフトというのは本当に誰もが気楽に動かせるように、なかなかならないものだなぁ、と思うのだけれど、それにしても皆さんが広く使っていることには感心をしてしまう。それだけ世の中の動きはかつてに比べると格段に高度になっているのかも知れない。ただ、その分だけ本来の人間のあり方からどこかはずれて行きつつあるような気がしないでもない。
 先日久しぶりにあった職場の先輩に依れば、テレックスでやりとりをしていた頃まではそうでもなかったけれど、それからこっち、世の中は何か間違った方向に行っているような気がするとのことだったけれど、あながち間違ってはいないのかも知れない。
 涼しかったから、銀座に行って教文館を点検していたら、二階に中国語の子どもの声がする。中国か、台湾か、香港か私にはわからないけれど、中国語の観光客の人たちがあがってきていた。日本語がわかるのだろうか。そういえばここの入り口では時々中国語を耳にすることがある。あちらのガイドブックにでも「ここは料理の本が多い」とかなんとか書いてあるのかも知れない。まさかキリスト教系の本屋だなんて知らないのかなぁ。尤も今じゃ日本人も知らないかも知れない。
 今じゃ日本人も知らないかも知れないといえば、「クロサワ」のビルだって、携帯電話とイタリアンとCity Bankになっているけれど、元はといったらタイプライターのお店だったなんてもう前を通る人は知らないだろう。

 私の興味を引く書籍が珍しく何冊も見つかって散財してしまった。

 15歳で引き揚げてきた植民地生まれの少女が書き連ねる当時の記憶。こうした体験を私たちは一体いつまで残すことができるのだろうか。官がそれをやるとどうして真の反省ではなくて、ただ「辛かった」だけの表現になってしまうのか。一体誰がなんのためにあんな戦争に国民を引きずり込んでいったのか。

 原著はとても古い物で、1950年出版とある。日本で生まれ15歳で米国に戻り、20歳で開戦を迎えた。海軍に入って日本語を生かし、ハワイでの日本人捕虜の通訳をしていたという。これもまた真の歴史を知る上で貴重な記録だといえるだろう。

 今年の4月に刊行されていたもの。原本はサンデー毎日に連載されたものをまとめたもので、その文庫版である。

日本兵を殺した父: ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦と元兵士たち

日本兵を殺した父: ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦と元兵士たち

 逃げられない過去を見つめることが如何に辛いけれど、必要なことかを知りたい。

増刊号。
週刊 金曜日 2013年 7/5号 [雑誌]

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週刊 金曜日 2013年 7/12号 [雑誌]

週刊 金曜日 2013年 7/12号 [雑誌]


 読みこなせる自信がなくて断念してしまったけれど、これは大いに気になる。

これからどうする――未来のつくり方

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