ほぼ足りてまだ欲 その先

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想定

 想定問答集というと真っ先に思い出すのは株式会社の株主総会にあたって総務部が総力を結集して作成するそれだ。その項目もさることながら、それに対する回答を核心に触れずに気がつくと逸らされているように作り出しておかなくてはならない。しかも、それを予行演習をしてみたりなんてやるのであった。
 そういえば、そんな作業を手伝わされたことがあって(なんでこの私がそんな作業に参画していたのかまったく見当がつかないのだ)、ある核心に触れる質問を持ち出したときに、担当部長に「なんでそんなことを聞くんだ!」といわれて驚いたことがある。もしもし、それを準備するのが目的なんじゃないんですか?と。
 そこで想定なんであるけれど、行政にはその「想定力」というものが不可欠である。それを私は想像力といっていたことがあるけれど、これがないと臨床的な対処に終始することになってしまって、実際にはその状況を見ていると全くの後手に回るということになる。
 だから、企業の経営者であるとか、行政の担当者が「それは想定外だった」とコメントするのは実はとんでもなく恥ずかしいことである。つまり、それは「私はこの職を務める能力を持っていません」と認めるということに他ならない。
 そんなことをいうんだからお前はその能力を備えているとでもいうのか、というお叱りを即座に戴くことになるんだろう。残念ながら、私には種々のデーターを前にしてそこから想像力を働かせて次に打つ手をひねり出すという作業には向いていないらしい。
 そんな奴にそんなことをいわれたくないといわれそうだけれど、その分、つましい生活を送らせていただいているということになるのかも知れない。
 だから、東京電力が「こんな大きな津波が来る可能性があるか否かというのは全くの想定外だった」といってその失敗の責任から逃げおおせることができているのは大いに非難されなければならないと思う。それは通産官僚も、文部官僚も同罪だろう。こんな事でお茶を濁されちゃうんじゃ、堪ったもんじゃない。