ほぼ足りてまだ欲 その先

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2.26

 あれからまだたったの78年しか経っていない。昔は東京も随分雪が降ったもんだったんだなぁなんていっていたけれど、ついこの前あんなに雪が降ったんだから、別におかしくも何ともないって奴かも知れないなぁ。
 なんとも乱暴な話で、暴力的なクーデターだったわけだけれど、この事件が起きていなかったらこの国があんな泥沼にもがくことがなかったのかも知れない。このときの昭和天皇の反応を聞くとどうしてそんなに意固地になっていたのだろうかと思わないでもないのだけれど、革命を許してはいけない訳なんだろうなぁ。
 この国の現代史をひっくり返すと、この日を忘れてはいけないのだと良くわかるのだけれど、自分が中高生の頃はこの日と5.15事件の区別が旨くつかなくて、ただ歴史上の出来事として順番がわかってりゃ良いやくらいの話にしか過ぎなかったのだけれど、日本史の教師はちゃんと中身を教えてくれていたのか、全く記憶がない。
 死んじゃった人間国宝だった先代の柳家小さんは何も知らずに動員されて反乱軍にいた兵隊の一人だった。昔埼玉の県知事をやった畑和(はた・やわら)も歩兵第3連隊機関銃隊の兵として警視庁を占拠した。そのためか新編埼玉県史別冊として「二・二六事件と郷土兵」なるものが編纂されている。他の道府県でこうした資料をまとめているなんて聞いたことがない。
 あれからたったの78年、アジア太平洋戦争が終わってそんな時代が終焉を告げてから69年、またぞろ同じような暴力的な他者への圧力があたり憚ることなく振り回す連中が力を得てきていることに気がつかなくてはならないという思いが募るけれど、どうせそんなことは他岸の火事、という社会は変わることがないのだろう。