ほぼ足りてまだ欲 その先

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新幹線

 東海道新幹線が出来てから半世紀たった。あの年、つまり東京オリンピックの年、私は高校2年生だった。オリンピックは10月10日から始まった。私たちの修学旅行はもう寒いなぁと思うような時だったからオリンピックの後だったのだろう。
 ということはあの年、私たちは随分と浮かれた高校生活を送っていたに相違ない。なにしろオリンピック期間中は授業がある日でも、講堂に置かれた小さなテレビをみんなで見たりしていた。サッカーの券だったらいくらでも余っているから行きたい奴は券を配るぞといわれていたのに、行かなかったなぁ。人気がなかったということだろう。それでも体育の授業でサッカーなんてやったなぁ。体育の先生が大学の同期生なんだといって金メダルを取った遠藤幸夫選手が金メダルを持って講演にやってきたことも思い出す。
 そしてその直後に修学旅行だということは、その準備にきっと浮かれきっていたに違いない。クラスの修学旅行委員になっていた。なんでそうなったのか知らないけれど、自分から手を上げてなったのか、誰かがやれよといったからなったのかわからないのだけれど、学年の修学旅行委員会が頻繁に開催されていた。栞を作ったり、上意下達機関になっていたのだけれど、その中で往復の交通機関を決めるという重要事項があった。
 新幹線ができたとはいっても、みんながみんな新幹線に乗れなかった。なんでか知らない。費用負担に不公平が生じるじゃないかとなんであの時思わなかったのだろう。選択肢は新幹線、団体臨時列車修学旅行列車の三つだ。代表としてじゃんけん戦に挑んだ私は一敗地にまみれ、行きは品川駅から修学旅行列車の「あけぼの」。これじゃ中学の時と変わらないじゃないか。行き先だった大差ないというのに。そして帰りは京都の駅から団体臨時列車である。これは電気機関車が列車を引っ張るっていう奴だ。一番後ろの列車のデッキからはそのまま遠ざかる景色が見えちゃうという夜行列車である。
 良くあれでクラスのみんなから文句が出なかったものだと、今考えても不思議だ。