ほぼ足りてまだ欲 その先

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カーキ色の街

 中日新聞の連載<戦後の地層 覆う空気>その2 詳細はこちら
 もちろん国民服とか、国防色というのは知っていたけれど、それが法制化されていたとは思いもよりませなんだ。それが「国民服令(昭和15年勅令第725号)」。そして「国民服制式特例(昭和18年勅令第499号)」。
 1940年だというから日中戦争は泥沼と化し、太平洋戦争直前のことと思って良いだろうか。多分これで世の中にテイラーがどっと増えたのか?戦後各町内に一軒くらいはあったものだった。今やほとんど絶滅だ。
 うちの親父のスーツも、出入りの坪井テーラーが縫ってくれていたようで、そのお店にも行ったことがあるし、仮縫いだといって店の旦那がうちまで来て、まち針を口にくわえて、差していたのを見ていた記憶がある。
 だからといってうちのとっつぁんがお洒落だったわけでは全然なくて、むしろその反対だったといっても良いだろう。それでも、あの当時の人たちは戦後のバタバタな時でも、麻の上着を着て、パナマの帽子を被って会社に出かけていたのだから、驚く。いまやソフトを被っていくと「お洒落ですねぇ」なんぞといわれるが、そんなことはない、こっちはただ頭が他の人より寒くて、暑くて、雨がすぐにわかっちまうってだけのことだ。