ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 あまりにも早くに目が覚めてしまって、しょうがないから(しょうがなくなくてもそうだけれど)朝飯を食ってしまったのがまだ6時前。昨日買ってきた重たいパンをトーストしたらこれが固くって、旨いの!カリカリいってんの。
 そうしたら、又眠くなっちまって、結局10時頃には又寝ちまった。二度寝って奴です。なんたって、デレデレ生活を送っているから別に珍しいこっちゃない。目の端で高田純次が洗足池の周りを歩いているテレビを見た。
 洗足池とは懐かしい。高校の同級生が住んでいて(そういえば最近彼からメールが来ないぞ)、よく遊びにいったものだ。大学にいったら、今度はサークルの同期の男であの辺に住んでいる奴がいた。尤もあの二人は中原街道を挟んできたと南だから彼らは面識があるわけがない。
 あの周りを雪がまだ残る寒い日に歩き回ったこともあったなぁ。
 いや、そんなわけで目が覚めたら、つれあいがランチ女子会(ランチ婆さん会というべきか)に行くといって出かけていったから、そうだ、老眼鏡を探しに行こう、そしてついでに美味しい美味しい天丼でも食ってやろう!と思い立った。
 地下鉄の駅一個半分を歩いて先の地下鉄の駅から地下鉄に乗った。京橋で地下鉄を降りるとがんがん歩いて、マロニエ通り東急ハンズに行った。フレームのプラスティックが割れちまった老眼鏡を修理できないものかとプラスティック用のアロンアルファを買った。そのキャッシャーで「老眼鏡はどこかにありますか?」と聞いたら、多分パートのその女性は小さな売り場冊子をとりだして「あ、6階にあります!」と教えてくれた。そういいえばあの人、老眼鏡を使わなかったなぁ。
 ここの老眼鏡売り場はとても充実している。ビック・カメラや伊東屋丸善に比べたら安いところでは1,700円くらいから1万円を超えるものまでずらりと取りそろえてあるだけじゃなくて、そのほとんどはセンスが良い。百円ショップやビック・カメラのようなださい老眼鏡ではないのだ。その上、伊東屋のように目の玉が飛び出るような値段のものでもな。この界隈の老眼鏡分野のトップと評価して良いだろう。(え?銀座で老眼鏡を買うなって?)
 勇躍気分が晴れて(元々困っちゃいない)、なんか食べような、そうだ天丼だ、どうせだったら天國まで歩くか、なんちゃって、かなりな張り切りようだ。
 ところが教文館書店に寄り、松坂屋の工事現場を見て、八丁目まで来てみると、何ともう既に午後2時を回っていた。この時間に天丼を食べちまったら、夕飯なんて食べられないぞ、というんで折角ここまで来たんだからと立ち食いそばの「かめや」に入って、結局又いつもの冷やしまかない蕎麦を食うことになった。こんな時間だからガラガラなんだけれど、あとから入ってきたお嬢ちゃんが「まかないの暖かい奴」と頼んだんだねぇ。や、それはないだろうと異論を挟みたくなりそうだった。
 有楽町駅前の三省堂書店に行って、山川出版の「写真で見る太平洋戦争」のIIIともう一冊緑色の奴を探すも見つからず。しょうがないからとそのまま八重洲ブックセンターにあがり、日本史のところへ行くが、「III」はあったもののもう一冊がない。「こういうのが見当たらないんですが」といったら、店員さんが山川に電話して、これは4冊シリーズか?と聞いてくれたが、いや、これは三冊シリーズだという。じゃ、どこかの書店で4冊並んでいたのはなんだったんだろう?と聞いてみると、あ、それならこれでしょ?と「写真で見るペリリューの戦い」というものをとりだしてくれた。お〜、これだこれ!といったものの確かにこれはシリーズではない。何とも山川も紛らわしいことをするものなり。
 丸善を経由してトイレを借りて帰ってくると全部で11,700歩をタニタの万歩計が示していた。ちょっと疲れた。

中国残留孤児 70年の孤独

中国残留孤児 70年の孤独

 普通だったらここまで手を伸ばすということはしない。私は昔所沢まで中国帰還者のための受け入れ機関へ日本語学習の練習相手としてボランティアで参加したことがある。それで帰還者の苦労については気にはしてきた。この本の巻頭に関越自動車道で事故を起こした高速バスの運転手が帰国二世の男性だったというところから始まっているので、思わず引き込まれた。異文化の中での生活、しかもそれが本来の自分の祖国だという人生はとても普通のことではなくて、想像の範囲を遥かに超えている。
北米体験再考 (岩波新書 青版 F-99)

北米体験再考 (岩波新書 青版 F-99)

 この度再刊された岩波新書