ほぼ足りてまだ欲 その先

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在比日系人

  • 日本テレビ:太平洋戦争前から移住していたフィリピンの日系人は、戦後の厳しい対日感情の中で苦労を重ねてきた。両陛下が一人一人の手を握りながら「大変でしたね」などとねぎらわれると、涙をぬぐう人もいた。
  • 日経新聞:父が日本人移民、母がフィリピン人の日系二世86人と懇談された。二世の多くが戦後に反日感情の強かった同国に残留、様々な辛酸をなめてきた。この日マニラで日系人大会
  • 産経新聞:ホテルで、日系人の代表者5人とその家族らと懇談し、戦中・戦後の苦難の歴史を慰労された。反日感情による差別を恐れ、出自を隠して生活してきた人が多く、経済的にも苦労を重ねた。フィリピン各地で生存が確認されている二世は1946人。平均年齢は77歳。日系人社会は約10万人ともいわれる。ホテルのロビーには、この日に合わせて各地から日系人約100人が集まり、両陛下のご訪問を日の丸の小旗を振って歓迎
  • 時事通信:19世紀末から太平洋戦争終結までにフィリピンに渡った日本人移民の子孫。米軍によるルソン島内のマニラ〜バギオ間の道路建設工事に従事後、ロープの材料となるアバカ(マニラ麻)栽培でミンダナオ島ダバオに移った。戦後、15歳以上の男子は父親と共に日本に強制送還された。家族との離散を余儀なくされ、現地に残った残留二世は約3,500人。うちダバオが約1,000人と最も多い。戦後の反日感情で、日系人である事実を隠さざるを得なくなり、父親の身元を示す証拠が失われるなどして、今も身元が分からない残留二世(死亡者含む)は約800人に上る。(2016/01/24-14:38)

 フィリピンには、戦前移住した日本人の子孫だけでなく、戦後日本人男性が現地に放り出してきた日系のバイ・レイスの人たちがいるということはまったく見えていないかのように触れられていない。