ほぼ足りてまだ欲 その先

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日系人の戦後

1946 年と 47 年にカナダから国外追放された日系人は約 4,000 名となった。日本に行ったことの なかった二世を含め,彼らは戦後の混乱期の日本で苦労しながら生活を再建した。そのうちの 多くは,1950 年代になってカナダに戻ったが,なかにはそのまま日本にとどまった人々もいた。(和泉真澄著「鉄条網なき強制収容所第二次世界大戦下の日系カナダ人─」立命館言語文化研究 25 巻 1号2013年10月)

  • 終戦から3ヶ月後の11月15日,オーストラリアの収容所には 3,268 人の日本人抑留者がいた。 オーストラリア政府は,アメリカ・カナダの日系人の戦後処理と歩調をあわせ,オーストラリ ア生まれを除く日本国籍保有者全員を日本へ送還すると発表した。
  • 日本人の本国送還は,1946 年2月に第一回引き揚げ船・光栄丸でタツラとラヴデー収容所の抑留者がメルボルン港から,翌月,第二回引き揚げ船大海丸でヘイの抑留者がシドニーから送 還された。(永田由利子著「語られ始めた日本人抑留体験─ オーストラリアとニューカレドニアを比較して─ 」立命館言語文化研究 20 巻1号 2008年9月)