ほぼ足りてまだ欲 その先

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「死ね」

 「保育園落ちた、日本死ね!」は日本中に問題を知らしめたという点で、今年の重要な社会問題となった。いや、保育の問題はず〜〜〜ッとあったのに放り出されたまんまで、「こんな状況だ!」といっても「そう、そうなんだよねぇ」といって終わってしまっていた問題だ。だから、そういう意味では「日本死ね!」といった人は大変に大きな社会活動を喚起したといって良い。これまで福祉の研究者や活動家がどんなに現状を報告しても、誰ひとり真剣に政治家として取り組もうとしなかった問題だったのに、これが現代のあり方なんだということをしみじみと感じた。
 しかし、これを揶揄する旧態世代には理解がされない。何しろあの連中と来た日にゃ、自分たちの時はこうだった、今の奴らは甘い、だとか言葉が乱暴だ、とか、「死ね」とは何事か、という受け取り方しかできていない。
 津川雅彦なんぞに至っては「死ねといった奴が死ね!」といって、旧態世代に受けて悦に入っている。もはやほとんど馬鹿である。そもそも慎太郎や、津川といった日活不良もので儲けた連中にいわれたくない。
 保阪正康氏のレクチャーで手を上げた爺さんも「日本死ね」はないだろうと云ったけれど、それが理解できない世代に、今のISILに走る欧州各地出身の若者たちを理解することはできない。私はここでいいたいのは「理解」であって「容認」ではない。なぜ欧州からわざわざシリアを目指してISILに加わろうとするのかがわかるかわからないか、ということだ。トルコで拘束されて国外退去になった日本人にもいえることだけれど、日本だけではなくて、各国で貧富の格差がより拡大され、目の前に何一つ希望が見えない状態でいたら、人間は何を感じるかといったら、「もうどうでも良いよ」という結論になってしまいかねないと云うことではないだろうか。
 そうだとすると、これから先の時代は取り返しのつかない有様が展開してしまうのではないかと、それこそ希望が見えてこない。