ほぼ足りてまだ欲 その先

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日本の英語教育

鳥飼:日本では、おしゃべりは軽佻浮薄で、黙っているほうが無難。でも英語って、「ここまで言うか」というくらい熱心に伝える。その違いは大きいですね。日本の英語教育はそういった問題を考えて議論することなく、また、実施した改革を検証することなく、ただ改革を繰り返してきた。(週刊朝日 2016年9月23日号)

 それにしても鳥飼玖美子(とりかい くみこ、本名:町田玖美子)先生がわが母校の先生になられたのは多分1997年頃じゃないかという気がするけれど、それでも彼女は定年後名誉教授になっておられるんで、それにはまず驚いたね。そんなに名誉教授という肩書きを持っている人はいない。私は2001年の学期はじめに先生に抗議をしに行ったことがある。講義じゃなくて、抗議ってのが良いね。
 私は自分が勤めていた会社で最後の上司に「君みたいな軽佻浮薄な奴は見たことがない」といわれたことがある。彼は典型的なセクハラ、パワハラ上司だったから、常に馬鹿にしていたからなぁ。
 小学校で教える英語で日本の英語力は高まるのか、という議論だけれど、そりゃ無駄ではありません。だって、興味を持つ子はでるでしょうからね。だけれど、「俺、小学校の時から、つまり最初っから英語、大っ嫌いだったよ」という奴がゴロゴロ出てきちゃうという気がするのね。子どもは(試験だからやるというのはいるだろうけれど)イヤになったらイヤだよね。巧く教えることができれば好きな奴がでてくる。しかし、問題は「巧く」教えることができるか、という点だよね、やっぱり。
 JETでやってくるネイティブの連中は、私が今まであった連中を見ていると、みんなワーキング・ホリデーのつもりでやってきているような人たちだから、発音はできるかもしれないけれど、教育学を勉強してきた人は珍しい。
 そういう環境でやっていることの実に「表面的」であって「通り一遍」でしかないということは否めない。
 どうして韓国人の若者の方が日本人の若者よりも英語が巧いのだろうか。