ほぼ足りてまだ欲 その先

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船 上田毅八郎

 こちらの方の4 travelの旅行記で上田毅八郎さんが95歳で亡くなったことを知りました。とはいっても氏のお名前をご存じの方はそれほど多くないでしょう。プラモデルの外箱に描かれているモデルとなった旧軍の艦船や戦車、戦闘機等の絵を描いていた方だ。静岡には昔からプラモデルの会社が多く、勿論田宮模型も、今井科学模型といった会社もそのひとつ。
 そして、私がなぜ上田さんのお名前を覚えているのかといったら、清水の造船所に勤務していたときに、ひとかたならぬお世話になっていたからなのだ。造船所では新しい船が完成すると、その発注者の幹部や、船に名前を付けたときの名主、これをスポンサーと呼ぶ、をお招きしてパーティーを開くのが慣例で、この時に、その船を描いた絵をプレゼントするのが習わしになっていたのです。その絵を上田さんに描いて戴いていました。
 上田さんは船の取材に来られて、写真をお撮りになります。ところが戦争で傷を負って、右手が自由でない。そうするとカメラというのは非常に扱い難いものだということを上田さんから知りました。カメラというものはすべて右手使いの人のために作られています。多分左手使いの方は非常に使いにくい思いに駆られながら左手の人差し指でシャッターを押しているはずです。
 上田さんは右手の前腕を水平に保ち、その上にカメラを置いてかまえ、左手の人差し指とカメラ越しにシャッターにおいて、撮影します。それを見たときは思わず声を上げそうになりました。そうか、そういうことになるのかと。
 あまりにも上田さんの描く絵は実際に航行している姿を悠々しく描いてくださるので、アンカーベルにサビが見えていたり、ドレン管からサビが垂れていたりするのですが、「済みませんが、これは新造船なので、この辺の汚れは消して貰えませんか」という注文にもイヤな顔ひとつしないで答えてくださいました。私が働いていた5年間の間に多分30枚ほどの船の絵を描いて戴いたような記憶があります。