ほぼ足りてまだ欲 その先

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つまらん

 良く功成り名を遂げた人たちの話を聞いていると、なかなか面白くて「それで?」とその先を聞きたくなるような人生経験を踏んでおられる方々がおられて、興味をそそられる。例えば時代小説家の山本一力氏なんぞは一時期大きな借金を抱えることになって、最も大きく一人で稼げる道はなんだろうと考えて小説を書いて当てればいい、というので時代小説を書いたといっていたりする。血湧き肉躍るのだけれど、その時期、ご本人はあっけらかんとしていたのか、じりじりと迫り来るプレッシャーにめげそうになっていたのだろうかなんて思ってしまう。その時期を経験するのはなかなか辛い。しかし今や押しも押されぬ地位を気づきあげてしまったわけだ。
 麻生自動車をおこした渡辺喜太郎氏だって、テレビで知ったのだけれど、彼は戦災孤児だったわけで、そこからあれだけの財をなし、バブルがはじけていろいろあったようだけれど、どうにかやっぱり成功者のひとりだ。
 スティーブ・ジョブスだってアップルの大成功で、巨万の富を手に入れたけれど、大学も卒業していないし、始まりは自宅のガレージだし、成功してからも、勢力争いで追い出されてしまったり、映画になるような人生だった。
 そんな人生経験が全くない。あ、唐突だけれど、自分のことだ。貧困に喘いだ時期もないし、苦労に苦労を重ねてついに手に入れたものもない。才能を信じてその開発に艱難辛苦を重ねてきたわけでもない。弟子入りして修行に修行を重ねて、ついに歴史ある芸能やら学問を達成したわけでもない。ぼぉ〜ッと暮らしてきただけだ。無理をするのはよそう、そんなきついことは自分にはできっこないと避けて暮らしてきた結果がこれだ。「これ」っていったってどんなものでもない。単なる頭の薄い小太りな爺さんだっていうだけだ。嫁や子どもにとってはつまらんものだ。血湧く経験をさせてもらえるわけでもないし、めくるめく日々でもない。
 ここまで書いてくると、そういう単語がおよそふさわしくないのが私の人生だ。そうだ、これからやってみよう!といいだしたら、周りは困るだろうなぁ。
 なにを?って、それすら思いつかんのだよなぁ。