ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

新派・新喜劇

 うちに新聞を配ってくれている新聞屋さんは、毎月何かの切符の抽選があります。大体、外れますが、時に当たります。今月は新橋演舞場が当たりました。随分久しぶりです。いったいいつ以来だったんだろう。新橋演舞場といったら、時には歌舞伎をやっていたりしますが、今月はなんと新派と松竹新喜劇の組み合わせだというんです。新派は創始以来今年で130年、松竹新喜劇は70年で二つあわせたら200年になるんだっていうんです。えっ、両方ともまだやってんだ!と驚きましたが、次に思ったのは、一体誰が演じてんだ?ってことでした。
 新聞屋さんがあたりにしてくれるんですから一番安い席です。といえば、3階なんですが、上手寄りの端の方に30人ほどのお客さんが固まっていて、それ以外に3階にお客さんは皆無です。つまりわれわれのようなただのお客だけです。下を覗くと、一階はほぼ満席です。二階はよく見えません。一番高い席は12,000円だそうです。お客さんの年齢層を見ると、もちろんそりゃ高いんですが、ひょっとすると歌舞伎よりもまた高年齢層のように思えます。
f:id:nsw2072:20190213050431j:plain:w360:left チラシも何も見ずに始まった新派は、「華の太夫道中(はなのこったいどうちゅう)北条秀司原作」で舞台は終戦直後の京都島原の遊郭・宝永楼でございます。主役は十七代目の勘三郎の娘、つまり十八代目勘三郎の姉、波乃久里子、そして準主役はかの藤原紀香でございますよ!オペラグラスを持っていかなかった私は、ぼぉ〜ッとしか見えませんから、最初、この姉ちゃん、なんで拍手貰ってんだろうと思ったら、そんなわけです。愛之助のかみさんですよねぇ。苦労するんだろうなぁなんてのは置いておいて。
 なんせ舞台がそんなわけで、話は古うございますよ。ま、典型的なシンデレラものでございます。子どもが生まれた、「それで男の子?女の子?」という時に「あぁ、男の子か、それは良かった!」的なニュアンスが漂います。もう時代としては「あれまぁ!」でございますなぁ。波乃久里子さんのお声が、なかなか通り難うございます。爺さんは三階から耳に掌を当てて集音にかかります。芝居は三幕ですが、休憩が二回ございまして、あわせて50分ほどにもなります。お弁当を皆さんお持ちになります。あ、辨松の弁当を買ってくれば良かった。
 
f:id:nsw2072:20190213051810j:plain:w360:right 松竹新喜劇の演し物は館直志原作「船場の子守唄」より「おばあちゃんの子守唄」二場でございます。館直志といったら渋谷天外ペンネームだというのは、私くらいの爺さんになると、もちろん知っております。テレビでよく見た松竹新喜劇といったら、渋谷天外藤山寛美でございますから。しかし、あの渋谷天外が二代目だったとは知りませんでした。息子が三代目を襲名して出演しています。
 当時の松竹新喜劇といったら、曾我廼家十郎、五郎、曾我廼家明蝶浪花千栄子といったそうそうたる面々でございましたし、寛美が大きな借金を抱えて松竹をクビになったりなんぞしたものだから、大変な時期がございましたなぁ。浪花千栄子渋谷天外と夫婦だっただなんて、当時は知りませんでした。1970年代に寛美が復活して盛り返した時期もございました。
 冒頭出てきたお爺さんが誰かと思ったら、当時の生き残り、高田次郎だったのには驚きました。まだ元気だったんだ!もうなんと87歳です!そうそう、小島慶四郎はどうしているんだろう。
 舞台の設定は東京オリンピックが開かれた1964年でございます。大阪は船場の製薬会社の長女が社員と駆け落ちしたその後の話。おばあちゃん役が水谷八重子、昔の水谷良重、つまり初代八重子と、守田勘弥の娘でございます。あのかすれ声のモダン娘でならし、テレビ出ずっぱり、NHKの「若い季節」にだって出ていた、元白木秀男のかみさん。もう79歳でございます。いや、かすれ声健在ですが、かすれ過ぎちゃって、何いってんだか、てんでわかりませぬ。菅原謙二安井昌二波乃久里子とともに「新派四本柱」といわれたんだそうです。そういえば沢田雅美はどうしているんでしょうねぇ。聞きませぬなぁ。
 ここでも駆け落ちして生まれた子どもは「で、どっちやねん、男の子ぉか?女の子ぉか?」「男の子です!」「そうかぁ、良かったなぁ」でございました。
 曽我廼家寛太郎が良い味を出しております。彼こそが、あの松竹新喜劇の神髄を今に伝えてくれている役者だといって良いでしょう。彼の間、動き、これが松竹新喜劇でございますよ。彼を見られたことだけでも、今日の演舞場に来た甲斐がございましたなぁ。爺さん、大絶賛でございます!見ないので知らなかったんですが、彼は今の朝ドラにも出演していたらしいです。

 ならばと帰りは、「つばめグリル」でハンバーグ。高くなりましたよねぇ。昔はつばめグリルも、オリンピックも銀座の一丁目にありましたねぇ。