ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

京急

 京浜急行が非常に賢明なんだなと認識いたしました。例のあの駅名見直しの件です。小中学生に新しい名前を考えて貰うという計画が発表されたときには、こいつらきっと京急ならではの、駅名を全部止めて気味の悪い名前にしちゃうんじゃないかと危惧しておったわけです。何しろ京急には久里浜の先に「YRP野比」なる、なんて読んだら良いのか、訳のわからん、国籍不明駅名がございますよ。「わいあーるぴーのひ」とふりがなが振ってございます。「Yokosuka Research Park」というのがあるんですね。「電波・情報通信技術を中心とした研究開発の拠点で、1997(平成9)年10月の開設」だそうです。じゃ、この駅、その前はなんちゅう駅名だったのか!?単なる「野比」だったんですね。お〜、それだったら聞いたことがある。知らない間にそんなことになっていたのか!?知らないわけだ、その時日本にいなかった。

 で、東武日光線東武スカイツリーラインなんて名前にしちゃった東武鉄道、悪評さくさくの「なんたらゲートウェー」のJR東日本がございますから、京急らしい雑色、青物横丁、梅屋敷、六郷土手、八丁畷なんてのが全く払拭されて、横文字ばっかりになっちゃうんじゃないかと大変危惧しておったのでございますよ。爺さん湯気出してお怒り!状態になっちゃうんじゃないかと思って。
 ところがぎっちょん!あの京浜急行様がこれほど良識ある会社だとはと、再評価でございます。なにしろ駅名を変更したのがたったの四つでございました。これ、意外でしたよねぇ〜!


産業道路駅大師橋(だいしばし)駅産業道路というのは首都高横羽線の下を走っている道路を産業道路といってございました。この駅は京急川崎から川崎大師の方へ向かって行く、盲腸線の駅です。産業道路と交差して駅の横が踏切です。かつて箱根駅伝は走者がこの踏切に引っかかって、足踏みをしていましたよね。今は駅伝のコースが変わってしまいましたから、これを知っている人は何歳以上ってことになるんですかねぇ。ま、イメージとして大師橋でよろしいのでしょうけれど、川崎大師駅の二つ先ですから、結構こんがらがりそうです。


花月園前駅花月総持寺(かげつそうじじ)駅:こんがらがりそうといえばこちらでございます。花月園というのは戦前は遊園地だったそうです。なんせ1914年というのですから驚きです。西の宝塚、東の花月園といわれたくらいだってんです。終戦後1950年に、花月園競輪となりました。私の記憶は丘の上の競輪場で、汚いやさぐれたおじさんたちがぞろぞろと降りていく駅、というものでしかありません。しかも、この駅の隣はあの幕末の事件で有名な「生麦」で、あそこには駅から見えるところにストリップ小屋がございましたから、なんだからうら悲しい淫靡な雰囲気でございました。何がこんがらがりそうかといえば、この「総持寺」ですよ。「総持寺」といったら曹洞宗大本山でございます。石原裕次郎のお墓があることで知られております。(夜中に酔っ払って見に行ったことがございます。あの頃はなにをやっていたんだか。)JRの鶴見の駅の北側に大きな屋根を見せております。しかし、この駅から歩くのは結構あります。普通は総持寺へ行くならJR鶴見下車ですよ。大阪のひとだったら、吉本の劇場でもあるのかと思っちゃいませんか?


仲木戸駅京急東神奈川(けいきゅうひがしかながわ)駅:ちょっと残念!仲木戸の名前はかなり意味があるんです。「神奈川御殿」の出入り口、で木戸だったらしいですよ。ただ、このあたりは戦後職安があったもんだから、朝から港で日銭仕事をする人たちを雇っていく連中がわんわんしていて実に小汚い雰囲気に満ちておりましたねぇ。こども心になんとなく、足を踏み入れがたい雰囲気がありました。もっともあの時期は東横線の東白楽から反町の間の高架下から、こっちにかけて、ずっとそんな雰囲気でした。東神奈川からあそこのガード下を通り、国道を渡って海の方の工場に行くあたりまではそんな人たち相手の安酒場が散見されておりました。ストーブの上にヤカンが載っていてそのヤカンから酒をついで呑んでいたというような。だから、私にはとても親しみのある駅名でした。今では横浜線から羽田へ行く人たちの乗換駅になっていて、乗降客も増えているそうです。


新逗子駅→逗子・葉山(ずし・はやま)駅:最後は金沢八景から分離していく京急逗子線の終点です。JRの逗子に近いところにあるから「新逗子」だったんだろうけれど、これ、それこそ得意の「京急逗子」で良かったんじゃないかという気がしないでもないんだが、「葉山」という地名のせれぶりてぃさ加減にのっかったアイディアじゃないのかなぁ。昔港区の白金台っていっていたあたりが「白金」になっちゃったみたいな。何がセレブリティだよ、というのが私の口癖だけれど、全然このあたり葉山じゃないしね。葉山から先、三浦半島西海岸はかつて漁村でバスしかない不便な地域なんだよなぁ。今はどうなっているのか知らないが、かつてはハイキングに行くところだった。


 いずれにしろ、「青物横丁」が残ってホッとしたのだった。