ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

一日遅れ

 春以来の墓参り。一日遅れのお彼岸。京急に乗ったら、どこそこで信号点検とか何とかがあったので、遅れているというのだけれど、「今各駅に電車が止まっている状態です」という。こっちは別に急いでいるわけじゃないけれど、どうもこれでは一駅一駅じっくり止まっていきそうなので、JRに乗り換える。しかし、これも途中までしかいかないという。
 さらばってんで、東京駅で東海道線に乗り換える。横浜で京急に乗ろうかどうしようか迷ったけれど、まだ動いているとは限らない。ならば大船まで行ってしまってバスで反対からアプローチしようという策略。大船まではかなりある。東京駅から40分ほどかかる。駅の上に上がってみたら、やっぱりここにも駅ビルみたいなのが出来ていて、どっと広がっているのだけれど、常用者以外の人の役に立つ「インフォメーション」というものが日本の鉄道駅には全く存在しないからあっちへうろうろ、こっちへうろうろしなくてはならない。大きな荷物を抱えた一人旅の観光客なんかはまったくお手上げだ。
 観光客といえば駅へ行く途中で飛行機のタグがついた大きな鞄をごろごろさせながらスマフォで一生懸命地図を探しているような若い女の子がいたものだから、多分東南アジアかなと思って「May I help you?」と声をかけたら目も向けずに避ける仕草。おかしいなぁと思ったら、連れ合いがいうには「あれは日本人よ!」。
 次に米国人と覚しきおばさん二人。「どこか探しているの?」と聞いたら駅だという。何本もあるんだけれど、どこへ行くの?と聞いたら皇居だっていうんだよね。まっすぐ行く線はないけれど、とりあえず銀座線だね!といったら、銀座線だとはわかっているらしい。じゃ、ここを曲がって信号を左だよ、じゃね!と別れた。こっちはどんどん行っちゃって、後で振り返ったけれど、人がたくさんで見つからない。さて、あれからどうしただろうなぁ。
 ようやくバスの乗り場が笠間口という出口の方にあるらしいことを発見。そこまで来てみて、あぁ前回バスで帰ってきた時にここに来たなぁと発見。バスターミナルにやってくると並んでいるのかいないのか、ベンチでただ休んでいるような婆さんグループがいて、「並んでおいでですか?」とお伺いすると「そのつもりです!」ってんだね。自分が中心だからね、あの人たちは。
 バスの経路は相変わらず途中まで渋滞。こんな経路のバスを運転するというのはイライラするんだろうなぁと同情つかまつる。うちの墓がある墓地は実は財政破綻している団体で、どうなるのか、見当がつかない。休憩所のトイレなんて使いにくくて・・と思っていたら、今回、そのトイレが綺麗になっていて驚いた。
 昨日がお彼岸だったから、お墓はあっちもこっちもお花が綺麗に飾ってございます。うちの墓の周辺はいつもだぁれもいないのに、後ろ斜め左のお宅はちょっと前に来られたようでお線香からまだ煙が上がっている。あのうちのお墓には十字架が彫ってあるんだけれど、線香なのかねぇ、といったら教会でもお清めの香を焚くじゃないかってんだね。なるほどだ。
 ラベンダーの咲いているお墓、柘植の囲いのあるお墓、彼岸花が咲いているお墓なんてのは良いんだけれど、ススキがこんもりとなっているお墓なんてのはわざわざあぁしてあるというものなんだろうか。墓前滞在、わずか15分。中には折りたたみの椅子を持ってきて、みんなで弁当を開けているグループなんてもある。
 バス停に来ると一人座っていた兄ちゃんが立ち上がったから、やれ親切な若者がいるものだと思ったら、バスが来たのだった。金沢八景の駅のプラットフォームに上がるやいなや、外は篠を突くような大雨。横浜で降りて、中食にしようとそごうの上に上がる。
 小籠包の店があってフラッと入ったら店員のお姉さんが「お二人ですか?」と聞くから「はい!」と答えたら「少々お待ちください」という。待っていると、外から入ってきたおばさんが、その店員に「外で並んで待っていれば良いの?」と聞いている。このおばさんは今来たのかなぁと思っていると、店員が私に向かって、「外でお並びください」という。「は?」
 要するにさっきのおばさんは自分たちが並んでいるのに、この二人はそれを無視して店に入ってきたのは怪しからん!」といいに来たわけだ。だったら、わたしたちに「みんな外で並んでいますよ」と語りかければ良いわけだ。
 外に出てみると、入り口から奥に向かって椅子が並んでいる。お並びくださいの表示もなく、係員もいなければストレンジャーにはわからないじゃないか、とここでまた一つむっとする。
 快速特急なるものに乗って帰宅。あぁ、疲れた。家に着くなり豪雨。