ほぼ足りてまだ欲 その先

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墓参り

 年に二度くらいしか行かない墓参りに行こうと思ったのがお彼岸に入る頃。暖かい日が続いたので、桜も良いだろうとこの日にした。するとどうでしょう、なんと現地に到着したら雨です。雨だから、やってくる墓参り客もとても少ない上に、いつもはほこりっぽい霊園もなんだかしっとりとしていて、雰囲気良好。その上、お彼岸の後だから、あちこちのお墓にまだお花が健全な色を残したまま生けてあります。これで桜が咲いていたらいうことがありませんが、世の中そうそう巧くは行きません。もっとも考えてみたら、この霊園には桜は数本しきゃないのね。
 
f:id:nsw2072:20190327034500j:plain:w360:left 京浜急行の駅がもう何年も工事中だったんだけれど、ものの見事に密集していた駅前の商店群を動かして、ロータリーを作り、バスをそこへ引き込んで、レジャー施設へ行く乗り物へ乗り換えやすくした。しかも、このロータリーの稼働開始が今日だった。こりゃすごい。バスに乗るのに、国道脇のバス停で並んでいたんだけれど、これなら今日みたいな雨でも濡れずに済む。私たちの前にほぼ同じ年格好の夫婦とその息子とおぼしき三人連れが座っていた。直感的に、あ、この一行も墓参りだなッと思ったんだけれど、最初の霊園の入り口で降りない。あ、違うのかと思ったら、そこを通り過ぎたところで「あ、しまった、ボタン押し忘れた!」と慌てている。私たちと同じところで降りたのだけれど、渋々三人揃って坂道を登っていく。うちの墓もバス停からはややしばらく坂道をあがらなくてはならない。これでは早晩、この坂道をあがるのが億劫になるだろう、そうかといって、その時にはもうレンタカーしてくることも出来なくなるだろう。そしてうちの子どもたちは二人とも車の免許を持っていないから、乗せてきて貰うわけにも行かなくなるなぁ。

f:id:nsw2072:20190327034550j:plain:w360:right 霊園の墓石は、そりゃもう様々で、「故郷」と掘ってあったり、「神は愛なり」とあったり、中には二つの苗字が掘ってある墓もいくつもある。あ、そうか、なにもうちの墓と限ることはないじゃないかと。あっちのうちの墓でもあり、こっちのうちの墓でもある、というのは素晴らしいアイディアだよねぇ。何しろこのままにしていたら、日本中墓になってしまいかねないもの。意外なことに霊園の墓石はそれはそれは自由な発想の元に出来ている。結構日本人は固定観念なんかに縛られていないかも。だったら墓なんて個別じゃなくて良い、というところまでいっておかしくない。

 帰りに実家の後に暮らしている姉のところによって、昼飯を食いながら昔話に時間を過ごす。驚くことに知らなかった話がどんどん出てくる。姉はおふくろを最後まで面倒を見たから、随分たくさんの話を聞いていたらしい。例えば、おふくろの父親の妹が、親父の兄嫁だったとか!親父とおふくろが親戚だったんだという話は聞いていたけれど、そんなところでつながっていたとは驚いた。
 親父の母親は若くして死んだということは聞いていたけれど、その後妻さんがいて、そこにも子どもが何人かいて、それはまた違う姓を名乗っていて、親戚のつきあいは全くないのだとか。それでやけに親父が母親の写真を後生大事に持っていたのかも知れない。その割に、親父の父親の写真というのは、うちの姉も見たことがないといっている。
 親父の実家の想い出は姉もあんまり良いものがないらしい。

f:id:nsw2072:20190327034646j:plain:w360:left うちに帰ってきてから、デパートの地下で買ってきた、京都に四季の冨美屋の冨美鍋セットを作って夕飯にした。ここ二年ほど京都に行っていないけれど、かつて行ったら確実に食べた鍋焼きうどんで、お店で食べたら680円がこのセットだと510円。しかし、なんと小さいけれど、生卵までセットについてくる。懐かしいお出し。