ほぼ足りてまだ欲 その先

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紙幣

f:id:nsw2072:20190409162052j:plain:w360:left 2024年までに一万円札は渋沢栄一になるらしい。今朝のラジオで森本毅郎が「あと5年かぁ、間に合わないかもなぁ」と遠藤泰子と笑っていた。私も正に同じことを考えていた。ところがテレビではもう「見本」の文字がついた絵面が映し出されている。ここまでで来ているんだったら、すぐにもできそうな気がするけれど、そうでもないんだろうか。

 渋沢栄一といったら、あらゆる分野の企業を設立した男で、日本のどんな産業でも元を辿ればこの男に行き着いてしまいそうだ。
 当時の実業家といわれる人たちはそれぞれの財閥を作った。しかし、渋沢栄一は財閥を構成していない。いや、むしろ「社会活動に熱心で、東京市からの要請で養育院の院長を務めたほか、東京慈恵会日本赤十字社、癩予防協会の設立などに携わり財団法人聖路加国際病院初代理事長、財団法人滝乃川学園初代理事長、YMCA環太平洋連絡会議の日本側議長などもした(ウィキペディア)」といわれている。その他には学校にとても多くの支援をしていたそうで、彼が支援した学校は京華商業、早稲田大をはじめとして、合計で164校にも及ぶといわれている。
 こんな人間を安倍晋三政権が一万円札に採用を決めたのはなんだかとても違和感がある。企業が大きくなれば、内部留保が大いにたまればそれで良いというような政策を推し進めている政府の元で一万円札に採用されることについて、多分渋沢栄一自身は「辞退したい」というのではないか。

 ところで、これだけの男だから、何かあるんじゃないのか、と思っていたら、

渋沢栄一が設立した第一銀行は1902年から1909年の期間、1ウォン券、5ウォン券、10ウォン券の3種類を当時の大韓帝国下で発行し、その札には頭取だった渋沢栄一が描かれていた

 と報じられている。


 この新紙幣への切り替えで何が起きるのかといったら、日本全国でのあらゆる「紙幣識別機」の新替が必要となるわけで、この業界は未曾有の大好景気を濡れ手に粟で入手することになる。ここになにも起きない、なんてことがこの世の中にあり得るんだろうか。この利権まみれの政権下で。