ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

差別

 そうなんですよ、もちろん天皇家というものを貴族の中でも中心の中の中心たる家族として最上級に奉る思想というのは、階級制度の肯定にしか過ぎないわけです。なにがなんだといったって、同じ民族のひとりで、同じ人間のひとりだという点で誰も彼も同等なんだ、という原点から出発したら良いんじゃないか、という気がしますが、これが不思議なことに、皆さん、上に立つ種類の人間に属していたいと思っている。いや、人のことをいう場合じゃないんですが、自分だって、どこか温泉にでもいったら、「いらっしゃいませ!」とお辞儀をされると、なんとなく満足をして、いやいや、お世話になります!とかいっちゃって、上から目線になっていたりするわけで、こりゃ情けない。それに気づくと妙にさもしいという気になります。
 例えば、飛行機で旅に行こうとするときに、近頃の航空会社はしきりに「もう一歩満足のラグジュアリー」とかいっちゃってビジネスクラスや、はたまたファーストクラスの宣伝をなさいます。そりゃね、すっかりリラックスして美味しいものを食べる旅は楽しうございましょう。だけど、それは所詮エコノミー席の二倍も八倍もするようなお金で買うわけです。お金で上から目線を買うわけです。それなら致し方がないという気もしますが、それが上級国民なんじゃないんですよね。それはお金国民。
 ところが貴族だったとか、皇族だったとか、今皇族だ、というのは別にお金で買ったわけでもない。あ、究極のことをいうとお金が絡んだかも知れん。しかし、生まれながらにして、「君らとは違うんだぜぇ」という存在を産み出してしまうのは、こりゃやっぱり違うんじゃないか、という気がする。そういう階級を戴く、その下に傅く(かしづく)という状況をなぜ快感に思う人たちが出現するのか、というところが不思議。寄らば大樹の陰、という思想なんだろうか。そうしておいて、周囲のものに大樹と同じ扱いを要求する。スネ夫か、お前たちは!だから形だけとはいえ、征夷代将軍が出てくるとその足下にひれ伏す、ということになる訳か。
 こういう存在がないと、その日後の元に生活するという図式にならないと、人間は安定しないのだろうか。ということは人間は独裁支配に振り回されやすい動物なんだろうか。あれ?そう思うと野生の群生動物たちのほとんどはそうなのか。