ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

なんだか

2023.01.31現在の蔵前神社、ミモザの花芽

いくつかある散歩コースのうち、日本橋人形町コースに行った。
今日はMARUZENに入らなかった。
また本を買ってしまうことを恐れたからである。
何しろ今どきの本は一冊買っただけで昼飯一食分くらいは平気で飛ぶ。
高島屋で弁松の並六のおかずだけ、というやつを買おうかと思ったけれど、それでも千円は超えるので、断念した。
成城石井で朝飯用の惣菜を買い、近所のスーパーで饂飩とかき揚げを買った。
昼飯は天とじ饂飩にした。

明日は医者に行ってコレステロールの薬を出してもらわなくてはならない。

大安だったそうで、小網神社は警備員が出るほどの人出で、それも若い女性ばかりだった。
なんだろうと思ったら、あそこは弁天様で、銭洗い弁天というわけだった。

日本橋川に十羽ほどの水鳥が来ていた。しかし、それだけだ。
ヒドリガモ」が来ているとFacebookに書いたら、日頃全く連絡のない知人がそれは「ホシハジロ」だと指摘した。
嘘を書いている人間に我慢ができなかったんだろう。
それにしても、彼がつながっていることは認識していたけれど、まさか読んでいるんだとは思わなかった。

 御蔵前書房で、「東京人」の1997年3月号 No.114を入手。660円だった。先日の94号の1,230円とは随分違う。
特集は「よみがえれ!東京言葉」なんだけれど、林望が亡くなったひげの三笠宮のお姉さんにあたる近衞甯子(やすこ)(近衛忠煇のかみさんである)と対談している「皇族方の話し方」が興味を引く。私は天皇制に反対する方だから、憧れていうんじゃないが、我々と使う日本語が違うというのには呆れて興味があるのだ。なにしろかつては学習院女子部では「あなた」のことを「この方」と呼んだというのだ。はっ!?と聞き返したい。「あなたは何を召し上がる?」という時に「この方は、何を召し上がる?」といったというのである。「ありがとうございます」の代わりに「おそれ入ります」といい、学習院ではそれを略して「おそれ」っていってたらしい。笑える。私もそういえば席を譲ってもらった時には「恐れ入ります」といったことはあるなぁ。
 小学校4年の二学期に横浜から清水へ転校した時に、近所のガキ大将に「われん、どこんクラスだ?」と聞かれて、相手のことを「われ」と呼ぶことにびっくりしたのと同じくらいびっくりするではないか。
 東京言葉といえば、もう10年以上前になるが、祭りの時に、本社の神輿を沿道で見ようとつれあいと話していたら、いあわせた町内のおばさんがつれあいに向かって「あんた、東京の言葉ねぇ!」といったのである。たしかに彼女は生まれも育ちもここだから、イントネーションもなにも変わらない。いや、横浜生まれの私がやたらと指摘するものだから、もう「しゃくえん」とか「あさししんぶん」なんぞとはいわなくなった。それでもニュアンス的にはやっぱりそれなりにあるんだろう。静岡生まれの人が普通に東京弁を喋っていても、語尾のイントネーションで私には見分けられるのと同じようなものだろう。