ほぼ足りてまだ欲 その先

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では、入学式

 ならば、入学式の想い出はどうです?
小学校の入学式の想い出はほとんどございませんが、何しろ写真が残っております。平屋の木造校舎の前で、校長先生と担任の先生とクラス全員がまるで着の身着のままのような有様で、白黒写真に収まっております。ところが三年生になると、急にいわゆるジャンパーみたいなモノを来た連中がいて、世の中大分良くなってきた雰囲気が感じられます。給食はもちろん脱脂粉乳コッペパンで、アルマイトの食器を、おふくろ手製の布袋に入れて、ランドセルの横にぶら下げて、がッちゃんがッちゃんと音をさせながら通学していました。
 中学の入学式は、多分戦前からの木造の校舎の壁をぶち抜いたようなところで、系列大学の総長の話を聞きました。なんでも有名な人だったそうです。
 高校の入学式は、実にやる気を失ったような男子生徒の塊でした。男子の9割は都立の志望校を落ちて、ここで拾われたという境遇だったので、「来たくて来たわけじゃない」雰囲気に満ちあふれておりました。
 自分のクラスにいって、眼鏡をかけた男子の横に座ったら、こいつがうちの親父が勤めている会社の黒革表紙の手帳をとりだしたので、驚いて、「君はそれをどこから入手したんだ?」と尋ねたらこともなげに「うちの親父が勤めている会社の手帳だ」というのだ。偶然というものはどこにでも転がっている。うちに帰って親父にこういう人を知っているか、と尋ねたら、事業部は違うが聞いたことはあるという。彼とは結局毎年クラス編成があるのに、同じクラスだった。
 大学の入学式はもちろんいったんだけれど、全く記憶にない。なぜか、なにも印象に残っていない。記念写真も全くないし、固定教室にいったのだろうに、なにも覚えていない。あの学校は大学なのに、当時クラス編成があって、一般教養の語学クラスはそこで授業があった。なにしろ一度しか逢ったことがないのに、クラスの担任教師というのがあてがわれていた。超有名な東大美学出身の、当時は助教授で、キザを絵に描いたような人だった。一度も言葉を交わしたことはない。
 その後入ったところの入学式は良く覚えている。

(どうしていつも書き始めは丁寧なのに、途中からぶっきらぼうに書くことになるんだろう?)ご容赦