昨日の高校同期の仲間と話していてやっぱり話題が沸騰するのが女子の話と教師の話だ。2年の時、私は確かA組でC組の担任の話を聞いてびっくりした。まったく写真を見てもわからなくて、名前も聞いた覚えすらないのだ。その先生は赴任してきたばかりだったらしくて、生徒とは5-6歳しきゃ違っちゃいなかったというので、今でも元気にクラス会に出てくるという。
教師の思い出として共通の話題になるのはイヤな教師のことだ。誰の口からも出るのは生活指導の教師、世界史のKと古文のOだ。物理のIも皮肉たっぷりだった。彼らのイヤなところの共通点があって、私たちの学校をレベルの低い学校として馬鹿にしていた点だろう。
私たちの高校は旧制の時は高等女学校で、私たちの学年から男子の生徒数が多くなったといっていたけれど、それでも女子の生徒数は男子のそれの1.5倍だ。全員で約500名いた。前の学年は男子がひとクラスに集中していてあとは全部女子だったらしい。私の中学の数学教師で凶暴な奴がいたのだけれど、あとで彼が戦後の男女共学になったときの一期生の男子の一人だったことを偶然知った。最初の男子は数名しかいなかったので、校門の前でみんなが集まって、一団となって入っていったのだそうだ。
当時都立高校で旧制の女学校のほとんどは同じような境遇にいたはずで、私たちの学区には四校ほどがそうだったらしい。
だから男子は一次志望者で入学してくるよりも偏差値の高い学校を受けて落ちたものの、合計点では学区全体の定員数の中に入っていた連中が二次志望として入ってきて、そんな連中の方が俄然多い。だから、入学当初は男子はやる気ないことおびただしくて、一年生の一学期は女子の平均点の方が遥かに上だったそうだ。
例えば古文担当のO先生なんぞはNHKラジオの「中学生の勉強室」で国語を担当していたものだから超有名教師として自認していて、その授業ははなはだ鼻持ちならなかった。彼は今も健在だそうだが、こんなことを知ることができたのもネット社会のおかげなのだが、彼は当時まだ30代前半だったわけで、なんだ、そんな若造だったのかと、驚いた。どうも海軍兵学校の出身のようである。
世界史のK先生は「私の趣味は貯金である」なんてことを言い放つような男で、生徒を苦しめるような試験ばかりで、辟易した。彼のおかげで世界史が嫌いになったといっても間違いではない。