ほぼ足りてまだ欲 その先

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うしろむき

 毎日思い出すのは昔のことばかり。

ぬぅれたぁ 仔馬のたてがみを
なぁでりゃ 両手に朝の露

 引退した著名な競走馬のたてがみを牧場にいって切った奴がまたいたとテレビで聞いて、思い出したのは「めんこい仔馬」という歌。「めんこい」というんだからどこか地方の方言だろうか。古めかしい歌だし、馬のたてがみを撫でるなんて今じゃとても想像すらできない状況だ。ウィキペディアにお伺いを立てると、なんと1940年(昭和15年)12月の歌だという。作詞はサトウハチロー、作曲は仁木他喜雄。歌は二葉あき子、高橋祐子。陸軍省選定 東宝映画、「馬」の主題歌とある。二葉あき子といえばあの「岸壁の母」だけれど、1915年2月の生まれですからこの時30歳。私はあの人の唄いっぷりからいって浪曲出身だと思っていたけれど、なんと東京音楽学校の卒業生。奏楽堂で後の藤山一郎を聞いて一念発起したのだそうだ。と、ここまで書いてきて、どうもおかしいなと気がついた。「岸壁の母」はやっぱり二葉百合子で、彼女は父親がもともと浪曲師で、三歳で浪曲師として初舞台を踏んだという。百合子は1940年にはまだ8歳である。

 二葉あき子は「渡辺はま子淡谷のり子松島詩子笠置シヅ子と並ぶ創世記の紅白を代表する女性スター」だとウィキペディア様が仰っている。このメンバーなら全員すぐさま顔まで思い浮かぶし、ひとりひとりについて語ることもできるけれど、二葉あき子については全然思い浮かばない。しかしながら「水色のワルツ」という彼女のヒット曲は、覚えている。とても暗い歌で、東京12チャンネルの「懐メロ番組」で親父とおふくろが見ていたのを思い出す。多分うちのおふくろだったら、一緒になって朗々と歌っただろう。
 サトウハチローは良くテレビに出てきて喋っていた。戦後もおおいに売れた作詞家だった。しかし、なんとも汚らしい格好をしたお爺さんだった。サトーハチローといえば、妹は佐藤愛子である。現在96歳。ただし、彼等の父親である佐藤紅緑という男は怪しい奴で(当時はあの種の世界の人たちは全然平気だったのか、野口雨情も良い勝負だし)、次から次に同棲相手をとっかえひっかえしており、サトーハチローのは母は「はる」という。紅緑はハチローが中学生の時、舞台女優の三笠万里子と同棲して「はる」を離婚。佐藤愛子は三笠万里子の娘である。ハチローはこれを契機にぐれてしまい、小笠原の父島の感化院送りになる。紅緑は青森出身、はるは仙台出身である。「めんこい」はこの辺がルーツだろうか。
 彼等の異母兄弟としては、もうひとり大垣肇という劇作家がいる。しかし、彼の母親ははるでも三笠万里子でもなく、佐藤紅緑と愛人・真田イネの子だとしてある。ハチローが七歳の時の子どもであるから、本妻はまだはるである。

 サトーハチローは70歳で佐藤愛子が3年ばかり勤めたことがある築地の聖路加国際病院で1973年に死んでいる。佐藤愛子は今年の誕生日で97歳になる。彼女は二人目の旦那の事業失敗の借金を抱えて、ガンガン出版した。だから多作であるらしい。ただの一冊も読んだことはない。ひと頃、バブルの頃、もとはといえば労働運動小説から始めたはずの上坂冬子と一緒になって、やれブランド物は丈夫だから良いのだ!とか、調子をこいていたのを私は覚えていて、鼻持ちならないからである。そして、曾野綾子と同じように、自分が晩年にいたって、それを売り物にした本を次々に出しては家族を露出しているのが全く気に入らないので手に持ったこともない。しかし、佐藤紅緑と全員不良となった彼の4人の息子のことなどを垣間見ると、彼女が紅緑一家を書いた「血脈」を読んでみても良いか、なんぞと思えてしまう。はなはだ気に入らないので、古本屋で遭遇したら手にしてみんとす。


◆Do29. めんこい仔馬 二葉あき子・高橋祐子