ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」

 それっきりだそうだ。2009年12月14日に東京地裁で下された東京大空襲の被害者が国に謝罪と補償を求めた訴訟の判決です。つまり、あの頃、多くの日本国民が遭遇した空襲で辛い目を見て、多くの孤児や遺族が生まれたことでは、誰もなにも救済されなかった。ところが軍務についていた兵たちは一定の期間を経たものには軍事恩給やら、遺族恩給といったものが、戦後の占領期を過ぎて復活して、支払われてきた。戦犯として極東軍事法廷で死刑となった東條英機ですら、満額の遺族年金が支給された。しかし、防火に当たらずに逃げたら処罰すると脅かされて手造りの形ばかりの防空壕や大量日なんで焼き殺されたしまった住民たちはどうなったかといえば、「戦争被害は国民みんなが耐え忍ばなければならないもので、日本国憲法には国家がその救済をしなければならないとは書かれてない」という。
 やっぱりなにかおかしい。大日本帝国と日本国はあの戦争に負けたことによって分断されているので、関係がない?そんなはずはない。この国は体制は変わったけれど(本当か?)同じ国だ。
 しかし、この論法は国家レベルの話だけではない。各企業に於いてもこの論法は使われている。例えば、この国最初の官営工場として発足した某大製鐵企業は戦後分割されたものが、再統合され、社名の前に「新」がついた時を境に、違う企業だという論理で、戦前の様々な行いを払拭してきた。それは、ただこの企業だけではなくて、多くの大企業が得意として振り回してきた。だから、余計に三菱マテリアルの徴用工和解が意味がある。先日なくなった岡本行夫はあの交渉でどんな役回りを果たしたのか、知りたい。