ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

むり、むり

f:id:nsw2072:20201224091208j:plain:w360:left 今の若者の言葉の中でも「そりゃ違うぞ!」と云ってやりたい言葉のひとつ。「こういうのできるだろ?」「いや、無理、無理っす!」っていう。僕にはできません、と云う意味。「これ好き?」って聞いても「無理っす!」っていう。これは「嫌いだ」という意味。日本語の語義にはそんなものはなかったんだ。だから、もはや彼等は文化の創造者、いや、もしくは破壊者、と云うことになるんだけれど、こうして世の中は変わっていくのです。今では普通に「餅は餅屋」と使うけれど、元はといえば「餅屋は餅屋」だったはずで、「やっぱり本職は違うんだよ」という意味だ。

 けれど、今では、「餅屋」がわからない。そんなものを見たことがないからだ。だから当然「賃餅」なんて言葉もわからない。昔だったら今頃、お餅を搗く店に餅米をもっていって、伸し餅とお供えにして貰った。届いた時には、まだ四角く伸した餅は軟らかくて、おふくろがなっ切り包丁で、10cmx5cmくらいの長方形に切った。それを年末年始には火鉢の五徳の上に金網を載せて、焼く。醤油をつけてノリを貼り付けたりして食べた。しかし年が明けて何日か経つと、黴びてくる。カビを切り落として水につけたものを蒸し器に入れて蒸すと、あぁラ不思議、搗きたてみたいになって、きなこに砂糖を混ぜたものの中に放り込んで安倍川にして食べた。

 話が全然方向違いへ動いていった。土星木星の大接近だそうで、日ぐれてすぐ、南西の空にふたつの星が見えると聞いたのだけれど、あいにくうちの南西には、どかあ〜んとタワーマンションが建っていて視界が効かない。近所の大きなお寺さんに行って、本堂外の廊下に上がったら、お〜それらしい星が光っておる。しかし、とても、私のカメラのズームくらいじゃ太刀打ちできない。こういうのを「このカメラでは無理」という。