ほぼ足りてまだ欲 その先

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素人集団

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とらわれの身

 東京ではゴミをどのように処理しているのかというと、非常にシンプルで、プラスティックスを含めてあらかたは焼いてしまう。何しろプラスティックスは小泉進次郎に教えて貰った(笑)んだけれど、石油から出来ているから燃える。あとは金属やら、ガラスやら燃えないもので、家電なんぞの粗大ゴミは別扱いで有料処分されている。
 で、この焼いてしまうのはどこで焼いてしまうかというと、清掃工場と呼ばれる施設でバンバン燃やす。東京の場合は燃やすものには困らないので、全連式といって、24時間燃やし続ける。あ、この知識は相当に古いかな?もちろん発生する排ガスにはいろいろなものが含まれているので、処理をして放出しなくてはならない、技術的な専門性が要求される。焼き方だって、いろいろな方式があるし、ひと頃早いちゃうんじゃなくて、溶かしてしまうなんてやり方も試されたりしたけれど、相変わらず画期的な方式が登場していない。十年一日の如しというか、40年くらい全然変わらない。いやいや、実を云うと集めてきて焼いちゃうというやり方は、それこそ1930年代には既に取り入れられていた。あ、もちろん日本ではないけれど。
 
 日本では最初のかまど式の焼却炉が出来たのは大崎に1924年。チェーンストーカー式といって炉床が移動しながらゴミを燃やして最後は灰にして出すという、いってみれば流れ作業式のものができたのが、1962年の足立清掃工場らしい。各メーカーはそれぞれ自分のところの方式が優れているんだと宣伝をしてきたんだけれど、ほとんどが欧州で生み出された技術をベースにしてきたもので、その辺は高度経済成長期に良くあるように、とても器用に自らのものとして取り込んできた。しかし、欧州の技術なくしてはここまで来てはいない。不思議なことにこの世界は、米国技術はほとんど役に立っていない。なぜなんだろう。

 で、清掃工場というのは誰が発注して運営しているのかというと、東京都が担当している。しかしそれまで東京都清掃局が担当していたものを2000年に清掃局を廃止して、東京二十三区清掃一部事務組合にかわった。それってなんだよ、という話だけれど、組合議会は、区議会議長23名で構成されて、23区からの「分担金」とごみ受け入れ手数料で運営されているってんです。なんでこんなことをするんですかね。
 で、今目黒の清掃工場が建て替え建設されているみたいですが、発注者が詳細を決めるのかというと、そんなことできっこないわけです。処理量やら、基本的要件は決めるけれど、どんな炉にするのか、それを決めるのは学識経験者に頼っていた。しかし、そこにはメーカーとの間の微妙な位置関係があった。

 で、何を云いたいのかというと、COVID-19の対策だって、それぞれの自治体に、感染症に関するトップレベルの専門家がいるのかといったら、そんなことはあり得ない。地域の臨床医はもちろん医師会やら病院協会やらを組織して、日夜活躍しているんだけれど、全体の対策をまとめられる専門家がそれぞれにいるわけがない。だからこそ、国の、それも中枢の政府機関に頼らざるを得ないのにもかかわらず、その中心行政機関が、オリンピックにかまけて、真剣に対策を立てようとしていない。これはもう行政としての怠慢でしかないし、国民と国家をないがしろにしているとしかいいようがない。
 どう考えたって英国のジョンソンや豪州の各州政府がどんどん州境を閉鎖しては地域的ロックダウンをしたりしたやり方をとらなければ、解決しないのだということが明確に示されてきている。もう、自民党電通を中心とした「オリンピック至上主義」を排除しないとこの国は彼等に私物化されてしまう。これはもはや冗談でも大袈裟でもない。