私が覚えている最初のうちのカメラというのは正にこのカメラだった。六櫻社(のちの小西六)の「ベビーパール」と呼ばれるカメラだった。私は小学生の頃にもうすでにこのカメラの扱い方を覚えたけれど、さすがにうちにあるたった一台のカメラだったので、平気で持ち歩くことはできなかった。それで、一光社のスタートカメラみたいなおもちゃカメラを買って貰ったのが、多分小学校3年の頃だった。当時の遠足で大磯へ行った時に海岸で友達をそのカメラで撮った物が残っている。しかし、何しろ虫眼鏡で見ないと見えないような写真しか撮れないので、どうしても35mmの写真が撮りたかった。中学の修学旅行の時はもう「ベビーパール」を持っていった。当時どこの家にもカメラがあったわけではなかったようで、クラスメイトの中にカメラ・メーカーの娘というのがいて、その会社から希望者に貸し出します、ということが行われたような記憶がある。太っ腹のうちだったんだなぁと感心する。
そのあとは、お定まりのパターンで、オリンパス・ペンが家に来た。多分高校生の時の修学旅行を取ったのは、このオリンパス・ペンだと思う。もうどれもこれもとっくに捨ててしまって、今はもうない。
追記
ふと、カメラ・メーカーのお嬢ちゃんの苗字を想い出したので、ネットで検索してみたら、直ちにその会社が判明。たぶん「柳原コーポレーション」のことのようだ。