ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

本格的な夏

 昨日までは涼しい風が吹いていたんだけれど、今日の風はすでに熱風で、真夏の匂いがする。
何しろ巷は朝顔市やほおづき市で、確かに暦も夏だ。
しかし、これだけ暑いと、外へ出る気はしない。
しかも、来週には毎日最高気温が34℃だというのだから、考えただけでももう嫌だ。

永六輔

 あれからもう7年経ったそうです。今日が命日です。最尊寺さんには一度上がったことがあります。昔は二ヶ月に一度開かれていた「永住亭」にお誘いいただいて上がったら、永さんが出てこられてお話をいただきました。あそこは永六輔の実家ですからね。吉川潮のカミさん、小菊さんが登場したのは記憶にありますね。
 初めて永六輔なる人物を認識したのはラジオ関東参天製薬提供「昨日のつづき」でしょうか。テレビの「夢で逢いましょう」とどっちが先だったのか、「昨日のつづき」は1959年7月6日から始まっていますが、「夢で逢いましょう」が始まったのは1961年4月からだといいますから、多分ラジオが先だったのでしょうねぇ。『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』は二期にわたっておりますね。最初は1970年だといいますから、まだ私は学生だったはずです。「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」は1991年からだといいます。土曜日はもっぱらラジオでしたね。なにしろ文化放送では1984年4月7日 - 1996年9月28日の間、伊東四郎の「あっぱれ土曜ワイド」ってのがありましたねぇ。「タフマン伊東の堪忍袋」っていうコーナーは今でも「親父情熱」の中で続いているんだから驚いちゃう。
 さて、それで永六輔です。ラジオでも聴いていましたが、彼はリクエストハガキに、いちいち返事を書いていたってんです。私も一度返事欲しさに書いたら、本当に送られてきて、驚きました。
 外地勤務だった時に、たまたま日本に一時帰国した時が新宿南口のサザンシアターの柿落としかなんかで、永六輔三波春夫小林亜星の舞台があって見に行きました。あの取り合わせには驚きましたね。
 1997年に三波春夫永六輔作詞・久米大作作曲の「明日咲くつぼみに」という歌を出します。レコーディングの時に、「ストレッチャーで寝てても歌える、100歳になっても歌える、そんな歌にしたい」という永六輔の要望だけれど、どうしても張り上げて歌う三波春夫。すると奥さんが「あんた、永さんが言ってることがわからないのか!力抜けって言ったら力抜け。お前は三波春夫じゃないか!ああ、もう三波春夫はいないのか!」と、三波に怒鳴ったそうです。その様子をガラス越しに聞いていた永さんは思わず涙を流したという逸話が残っています。


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 紀伊國屋ホールのイベントには何回か、行きました。行くとまだ始まってもいないはずなのに、舞台の上に永六輔とTBSのアナウンサーの外山惠理がもういて喋ってんです。ありゃ、もうはじまっているのか!とお客さんが焦るわけですが、「どうぞお気になさらずに、ちょっと話しているだけですから」といっていつの間にか始まるつうわけです。あのステージにはもちろん小沢昭一やら太田スセリなんかもきて、楽しませていただきました。

 久しぶりに永六輔のことを思い出しました。