ほぼ足りてまだ欲 その先

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3年

 永六輔が他界してから今日で丸3年だそうだ。あっという間の3年だ。もうあまり思い出さなくなっちまった。あんなにしつこく私の暮らしにあちこちで引っ掛かったのにね。ただ、ラジオを聞くだけ、テレビを見るだけ、本を買うだけ、紀伊國屋の舞台で見るだけだったけれど、いやぁ、よく絡んでいたよねぇ。
 多分最初はラジオ関東の「昨日の続き」だろうけれど、いったい、いつから聞いていたのか、はっきりしたことは覚えていない。ウィッキペディアに聞いてみると、1959年7月6日から1971年3月まで放送していたというんだけれど、まさか1959年にラジオを聞いたとは思えない。多分1964−5年のことだろう。しかし、この番組も永六輔はやっぱり喧嘩して下りたといわれているから、彼が出演していた頃に聞いていたかどうか、甚だ疑問。テレビでいったらやっぱり「夢であいましょう」だったんだろうか。あれにはいくらでも出ていたからなぁ。ラジオでいったら桃屋提供の「誰かとどこかで」はずっと聞いていた。あの人は葉書を送ってきた人には返事を書いていたから、うちにも彼の自筆のサインペンの署名の入った葉書が来たことがある。
 1996年か1997年かにたまたま年末に東京へ帰ってきたことがあって、新宿南口の紀伊國屋サザンシアターでうまい具合に永六輔三波春夫の舞台を見ました。まさか三波春夫永六輔がそんなつながりができているとは知らなかったので、本当に驚いた記憶があります。もうその時は三波春夫も闘病中だったそうですが、それは後で知りました。
 日本に帰ってきてからは、毎年のように、紀伊國屋ホールへ参りましたねぇ。面白い年末の行事でした。
 七夕が命日だなんて、派手なことをやるねぇ。


♪ 明日咲くつぼみに / 三波春夫