ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

避難所

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 九州はここのところ、まるで何か悪いことでもしたかのように、次から次に災害が襲っている。川が氾濫するということは水が溢れるということではなくて、泥が襲ってくるということなんだと、まざまざと見せつける。これが雪だったら溶けて何も無かったの如くだろうに、泥だけはいつまでも残り、乾いたらこれが埃になってもっと悪いことになる。
 暮らしの拠点がなくなるのだから、これはしょうがないからどこか乾いたところへ避難するしかない。それは当たり前のようにどこかの学校の体育館だ。こうなったら、体育館の設計にあたっては、必ず避難所としての機能を果たすことができる装備をしていなくてはならないという決め事にしなくてはならない。然るにほとんど、そんなことを気にしてなんていない。そして、そういうところにブルーシートだけで避難生活を送ることが当たり前のようになっていて、誰も気にしてこなかった。プライバシーが保てない所の話ではなくて、襲われる人だって出ていると多くの災害の時に聞くことがある。人非人だ。
 かつて、私たちの国の経済がどんどん右肩上がりで金を集めていた頃、工事の現場では、何もかも不便な環境で仕事をするのが当たり前になっていた。今から考えたらそれで経費を軽くして、他の国の競争相手に勝ってきたのだ。それはいまだに続いていて、狭い部屋にしか暮らせない生活が当たり前のまんまだ。
 しかし、それは全くの話、多くの現場従事者の犠牲の上に成り立っていた経済だったわけだ。我慢するのが当たり前で、それはそういう立場にいるんだから、「しょうがなかった」。負け組だからしょうがなかった。勝ち組はそんなところにいないで、悠々とふんぞりかえって、ペットを撫でながら紅茶を嗜んでいた。
 そんな時でも「当たり前だと思っちゃダメなんだよ、現場だから我慢するのが当たり前じゃないんだよ!」といってくれた先輩がいた。志村さんのことは忘れられない。より良い条件の中で暮らそうと提案してくれていた。
 避難した先ではこれまでの延長線上で暮らせるような、設備を当たり前にして行かなくてはならない。それには金がかかる。金をかけて当たり前だ。なんで電通にそんなに入れあげなくてはならないのか。
 誠意のない政治をなんで選ぶんだろうか。自分は必ず勝ち組に入って儲かるんだと思っているのか。