ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

本の雑誌 別冊21


 近頃上野不忍池の鳥ども、と言っても主に鳩とカモメであるが、妙に人に近づいてくる。というか、行くと待っている。「いらっしゃい!」という感じで待っている。逃げない。人を品定めでもするかのように横目で見ながら周囲をブラブラする。その理由が那辺にあるのかと考察すると、それは人間のエゴから来ている。
 そもそもこの公園(といってもいささか広いが)には本来「鳥、動物に餌を与えないでください」という看板が立っていたし、時として巡回してくるおじさんがいて、餌をばらまく人を見つけると「やめてください!」と声をかけてきた。そのおじさんをここのところ、とんと見つけない。
 人間は根源に自分より下に見た動物に餌を与えて群がってくるのを大変に誤解をして、自分を慕ってくるんだと思っている。そんなことはないのであって、彼らはちょっとでも楽になにかを得られるのであれば、どんな態度もしてみせるのである。犬やイルカが芸をしてみせるのだって、元はといえばそんな悲しい性の表象なんである。それをいいことに我欲、つまり慕われる俺を楽しみたくて、餌をまいてやるのだ。ところがそれに慣れてしまうと奴らは、さぁさぁ、次は誰が撒くの?みたいな風で、「いらっしゃぁ〜い!」とテレビの桂三枝のような態度を見せるのである。わけも分からず鳩やカモメのような、元来図々しい連中にまとわりつかれる人たちのことを考えたことがあるのか!と大声を出しても、そんなことは知りやしないのである。寒さの雪の中で行く先も見つからず、さまよう、捨てられた子猫ではないのだ。


 「本の雑誌」といえば目黒考二である。といっても彼はペンネームを使い分ける、常人の想像の遥か上を行く執筆生活を送る活字中毒者である。その目黒考二が死んだのが一年前の1月19日である。76歳だったという。椎名誠沢野ひとしなんかと1976年に「本の雑誌」を創刊。「東日本何でもケトばす会」(略称:東ケト会)あたりからの一連の流れの中に捉えるべきが「本の雑誌」である。

 で、こんな本が目黒考二の追悼という形で出版されたのが2023年9月である。それから隣の区の図書館に配本されて、区外の人間でも借り出せるようになってからずっと順番が来るのを待っていた。しかしである。この種の本を図書館から借りだして読む人間の気がしれない。無論私もその対象の中に入っている。なぜなら、この種の本は目黒考二を記念して蔵書とするべき本だからだ。それをもうこんな歳になったんだから勘弁してもらおうなぞとゆるい気持ちで手にするのである。「BE-PAL」にも彼らが跋扈していた時代があったっけなぁ。